【テレビの開拓者たち / 内村宏幸】“ウッチャンのいとこ”の放送作家が語る、コント番組「LIFE!」ヒットの理由
ウッチャンナンチャンのウッチャンこと内村光良の“いとこ”である放送作家の内村宏幸氏。ウンナンのデビューとほぼ同じ時期に放送作家として活動を始め、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」(1990~1993年フジ系)、「笑う犬」シリーズ(1998~2003年フジ系)、「爆笑レッドシアター」(2009~2010年フジ系)、そして「LIFE!~人生に捧げるコント~」(2013年~NHK総合)といった内村光良の出演番組をはじめ、「サラリーマンNEO」(2006~2011年NHK総合)、「となりのシムラ」(2014年ほかNHK総合)など、およそ30年にわたって多数のコント番組を手掛けてきた。そんな宏幸氏に、放送作家の道を歩むことになった経緯や、コント作家としての信条、さらに、この春から新シーズンがスタートする「LIFE!」の制作秘話などを聞いた。
自分がやっていることが生業になるなら、こんなに素敵なことはないなと
──まずは、宏幸さんが放送作家の仕事を始められたきっかけからお聞かせください。
「ご存じのように僕はウッチャンのいとこなんですけれども、彼が地元(熊本県)の高校を卒業して、神奈川にある映画専門学校に入学が決まったとき、当時すでに大学に通うために上京していた僕の部屋で、一緒に暮らすことになったんですね。その後、彼が演劇科の授業の課題で、同級生のナンチャン(南原清隆)とコンビを組んで漫才を発表したんですが、それを見た当時の講師である内海好江師匠からのお誘いで、好江師匠が審査員をされていた『お笑いスター誕生!!』(1980~1986年日本テレビ系)に出場することになって。そのネタ作りや稽古のために、ナンチャンが僕とウッチャンの部屋に通ってくるようになったんですよ。僕は最初、2人がネタを作っているのを傍観してたんですけど、気が付いたら、『こうした方が面白いんじゃない?』とか、いつの間にかネタ作りに参加してて(笑)。やがて彼らが“ウッチャンナンチャン”としてデビューして、人気が出てきて、僕はその2人に引っ張られるようにして放送作家の仕事を始めたんです」
――それ以前は、「放送作家になりたい」と思ったこともなかった?
「ええ、もちろん。3人でネタ作りを始めたころは、放送作家という職業があるということすら知らなかったくらいで(笑)。だから、自分がやっていることが放送作家の仕事なんだと知ったときは、これが生業になるなら、こんなに素敵なことはないなと。そうやって、とにかく楽しくて続けているうちに今に至る、というのが実情なんです(笑)。だから時々、あのときにウッチャンと同居していなかったら、今ごろ自分は何をしているんだろうって、ちょっと怖くなりますね(笑)。本当に、ここまでこの仕事を続けられるとは思っていませんでしたから。ウッチャンとの関係も今では、いとこというよりも仕事仲間という感覚の方が強いですね」
──プロの放送作家として初めてのお仕事は?
「『笑いの殿堂』(1988~1989年フジ系)というコント番組です。ウッチャンナンチャンを中心に若手の芸人だけで番組を作ろうという企画なので、作家も新人を積極的に起用しようということになり、僕にもお声が掛かって。そこで運よく自分の書いたコントが採用されたんです」
──初めて採用されたコントは覚えてらっしゃいますか?
「確か、コンビニの脇に実況席があって、アナウンサーと解説者が、お店に入ってくるお客さんの言動を実況する、みたいな内容だったと思います。ウッチャンナンチャンがデビュー当時にやっていたショートコントに通じるテイストですね。こういう人間観察みたいなネタは、後の『サラリーマンNEO』まで、けっこう書きましたね」
──普段から人を観察することがお好きなんでしょうか?
「そうですね。さすがに人間観察のために出掛けたりすることはないですけど(笑)、電車の中とか街中で見かけた面白い人や変わった人が、知らず知らずのうちにインプットされてるんでしょうね。その記憶が、ネタを考えるときにフッと浮かんでくるんです」