20歳のときに出会った蜷川幸雄には舞台で「千本ノックのような」演技指導を受け徹底的に鍛えられた。最初は何もできず「公衆便所」と呼ばれ、翌年再び蜷川の舞台に出演すると今度は「天才役者」と逆の方向からイジられた。
ターニングポイントとなったのは25歳のころだった。ナイーブな思春期の延長みたいな心境で、くすぶっていて、世の中を斜めに見ている時期だった。そこで「俺には才能がない」と気が付いたという(「オリコンニュース」2018年8月1日)。それまで、自分が評価されないのを周りのせいにしていた。けれど、全部「俺次第」だと分かった。その日から1週間、家に籠もり、徹底的に自分と向き合った。ちょうどそのころ、河原雅彦演出の舞台「ロッキー・ホラー・ショー」に出演。それは衝撃的な体験だった。「真面目に作らなくても人は感動する」ということに気付いたのだ。これをこう見てほしいなどと変に“真面目に”作り込んでしまうと、先細りになってしまうのだと知った。泣かそうと思ってなくても人は泣くのだ。
「お客さんは自分の想像力とか、自分の人生経験を持ち込んで、そこでかけ算をして見るんだなと。だからその想像力を限定してしまうような芝居はしたくないな、と」(「ライブドアニュース」2017年10月19日)
それまで中村は理詰めで役作りをしていたが、人間はそんなに理由づけて行動していないし、説明できない感情ばかりだと気付き、断定をせず、余地を残すことを意識するようになった。その翌年、3度目となる蜷川幸雄の舞台に参加すると遂に「おまえはうまいから大丈夫」と言ってもらえた。
前述の「ノンストップ!」では、続いて「疲れるのが嫌い。走るのが嫌」とインドアな私生活を披露し、ハムスター2匹と古代魚のポリプテルスを飼っていると話し、その場でポリプテルスの“顔マネ”もした。その姿はあまりにチャーミングで母性本能をくすぐるものだった。だが、理想の女性のタイプについて聞かれるとその愛らしい表情は一変。きっぱりと「恋愛観、喋りたくないです」と拒否。会見会場の空気が一瞬凍りつくと、すぐにニッコリ笑い「服をちゃんと着る人」と答えてみせた。一度拒否しておいてのふわっと答える相手を翻弄するツンデレ。まさに「ひねくれ素直」の為せる業だ。
最後に中村は「俺、今日やりたいことあって」と切り出すと、おもむろに服のボタンを外し始めた。すると、バナナマンのライブTシャツがあらわになった。彼はバナナマンのファンで自ら物販に並んで購入したという。そうしてスタジオにいる設楽に向かって笑顔を振りまくのだ。
中村倫也は相手の心を掴む術を知り過ぎている。
(文・てれびのスキマ)
◆てれびのスキマ=本名:戸部田誠(とべた・まこと) 1978年生まれ。テレビっ子。ライター。著書に『1989年のテレビっ子』『タモリ学』『笑福亭鶴瓶論』など多数。雑誌「週刊文春」「週刊SPA!」、WEBメディア「日刊サイゾー」「cakes」などでテレビに関する連載も多数。2017年より「月刊ザテレビジョン」にて、人気・話題の芸能人について考察する新連載「芸能百花」がスタート
◆てれびのスキマ◆1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌「週刊文春」「週刊SPA!」「TV Bros.」やWEBメディア「日刊サイゾー」「cakes」などでテレビに関する連載多数。著書に『1989年のテレビっ子』『タモリ学』『笑福亭鶴瓶論』『コントに捧げた内村光良の怒り』など。新著に『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』