テレ東・五箇公貴Pが語るテレビの“あるべき姿”「巨大なカタログみたいになっていく」<インタビュー後編>
「電影少女 -VIDEO GIRL-」シリーズ(2018、19年、テレビ東京ほか)やバーチャルYouTuberドラマ「四月一日さん家の」(2019年、テレビ東京ほか)など、話題のドラマを数多く手掛けてきたテレビ東京プロデューサー・五箇公貴氏にインタビューを実施。
前編では、現在放送中の原田泰造主演のドラマ25「サ道」(毎週金曜夜0:52-1:23、テレビ東京ほか)の裏話などを語ってもらった。
後編では、プロデューサーという仕事を志したきっかけや、今気になっていることなどを聞いた。
今の五箇プロデューサーにつながっているものとは…
――この業界に入ろうと思ったきっかけを教えてください。
僕は若い頃からエンターテインメント業界に行きたいと思っていて、大学も文学部の演劇専修というところでした。お芝居に興味があったので、学生時代には、蜷川幸雄さんの演劇を制作する会社でアルバイトをしたこともあります。
僕が高校生や大学生の頃、フジテレビの深夜番組はすごくエッジが効いていて、いわゆる“サブカル全盛期”だったんです。一番影響を受けたのは、高城剛さんが(監督を)やっていた「バナナチップス・ラヴ」(1991年、フジテレビ)というニューヨークを舞台にしたドラマ。
それを見て、「テレビって自由だな」と思いました。バブルの恩恵を受けた人たちがテレビの中で好き放題やっていて、すごく自由でおしゃれでした。
そういうのを見ていると「やりたいな」と思い始め、外から見ていて一番自由なものができそうなところがテレ東だったんです。フジテレビの深夜ドラマのように、テレビの中で自由に表現することが許されるんだなと思ったことが僕の原点です。
――演劇専修ということですが、当時ご自身が演じることへの興味はありましたか?
最初からありませんでした。裏方に興味があり、プロデューサーをやりたいと思っていましたね。蜷川幸雄さんはもともとアングラな演劇からキャリアをスタートさせてらっしゃるんですが、それを東宝の商業演劇に持ってきたプロデューサー中根さんという方の会社でアルバイトで働いたことがあります。
その時に、アングラだった才能をたくさんの人が見られる商業演劇というフィールドに持ってきて、世に出して商売ができるプロデューサーという仕事は、なんて素敵な仕事なんだろうと思いましたね。
「制約があるということは、それをどう面白がるか」
――先ほど「自由な表現」という話がありましたが、今、テレビドラマや映画に表現の自由がなくなってきていると聞きます。その点に関してはどのようにお考えですか?
「自由のなさ」が何をもって「自由がない」というのかであって、私は表現の幅が狭まるんだったら狭まった中での最大値を見つけることの方が面白いと思っています。表現が難しいんだとしたら別のところを見せ場にしたらいいと。
例えば、木ドラ25「スモーキング」(2018年、テレビ東京)というドラマをNetflixさんと制作した時のことです。「スモーキング」は非社会勢力をターゲットにする殺し屋の話。
入れ墨を剥ぎ、ホルマリン漬けにして殺しの依頼人のところに持っていくというストーリーなので、テレビでどこまで(映像化)できるかということになりますよね。でも、4人の殺し屋は本来なぜ殺し屋という仕事をしているのか、その生きざまを強く描けばいい。
入れ墨を剥いでいるところを5分や10分も見たい人はいないんです。リアルにやっているという見せ方の工夫をすれば、そこ(過激なシーン)を長くやる必要はありません。
「四月一日さん家の」は、最近尖ったものをやっていなかったなと思い、バーチャルYouTuberとドラマを作ると制約はあるけれど、逆に新しいものができるのではないかと思い企画しました。制約があるということは、それをどう面白がるかということを考えればいいのではないかと思います。