佐藤浩市「記憶として、記録として、この映画は残る」映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)ワールドプレミア
1月26日、映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)のワールドプレミアが東京国際フォーラム ホールCで開催され、キャストの佐藤浩市、渡辺謙、吉岡秀隆、緒形直人、平田満、萩原聖人、佐野史郎、安田成美、そして監督を務めた若松節朗が登壇した。
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災によって起こった福島第一原発事故。本作は、事故の関係者90人以上への取材をもとに綴られた門田隆将のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)を映像化し、事故の現場の最前線で戦い続けた50人の物語が描かれている。
音楽を担当した岩代太郎の指揮の元、世界的ヴァイオリン奏者・五嶋龍、国内外で活躍するチェロ奏者・長谷川陽子が、現存する日本最古のオーケストラ・東京フィルハーモニー交響楽団と美しい歌声を聴かせるNHK東京児童合唱団と共に劇中曲「1st Chapter All Life」、「4th Chapter Home Country Forevermore」「Be with Danny Boy」を演奏し、ワールドプレミアのオープニングを華々しく飾った。
続いて、キャストと若松監督がステージに登場。主演を務める佐藤は「現在でも震災の時の映像を流す時には『津波の映像が流れます』と言うテロップを出さなければいけません。それぐらいメンタルに対するケアが必要な中、この作品もその映像から始まります。それを福島の方に見ていただくことは怖いことですが、それを乗り越えてエンディングまで見た時に必ず何か残る映画だと僕らは思い、福島に持って行きました。そして今日、皆さんに見ていただいて全国に回っていきます」と1月に行なった福島での特別先行試写を振り返りつつ、作品への思いを伝えた。
渡辺も「『当時は電源がなくてテレビも見れない、パソコンもつかない、ケータイもうまく見れない状態でいろんなニュースが噂で飛び交っていましたが、この映画で真実を知ることができました。ありがとうございました』という言葉で自信をいただけました」と被災地の方の言葉に勇気づけられたと語った。そんな出来事を受けて、佐藤は「記憶として、記録として、この映画は残るであろう」と確信したという。
時系列に沿って進められ撮影で、佐藤は「シーンを重ねていくうちにみんなと同じ境遇にいるという意識が強くなって、ある種の結束感があった」と語った。
緒形が「映画を撮っているとオンとオフの切り替えがありますが、この作品は全くオフがなくて、言ってみればローギアで唸りながら突き進んだという感じでした」とハードな撮影だったことを話すと、吉岡が「中操(中央制御室)での撮影の1週間が終わった時、みんな老けてました。浩市さんも『64-ロクヨン-』前後編より疲れたとおっしゃっていて、本当にヘトヘトになるぐらい精魂込めたというか、必死でした」と振り返り、平田も「電源が切れて真っ暗になるシーンで、防護服を着てるとどなたかわからないので言われるままに動いていたんですが、不思議と何日か経つとわかってくるんです。それがチームなんだなと思いました」と撮影を回顧した。
世間からの批判を受ける総理大臣を演じた佐野は、「『よくお受けになりましたね』と言われます。今はいろんな情報がありますけど、当時はわかってなかった。震災に関わる作品に何本か出演させていただきましたけど、被災者の役も総理の役も演じていると、それぞれの立場で皆さん必死だったことがわかります」と、いろんな角度から震災と向き合うことができたと話した。
安田は「『どうしたらいいんだろう?』というシーンばかりで、でもなんとか役目を果たせたと思います。映像で伝えることの素晴らしさが感じられる作品なので、お友達やご両親に『絶対見なきゃダメ!』だと言って欲しいです。『見たほうがいい』じゃなくて、絶対見なきゃいけないと思うんです」と熱くアピール。
世界73の国と地域で公開されることも発表されると、渡辺は「郡山から発信したものが東京にきて、全国に、そして世界に向かってこの映画を届けるためにタイトルが英語表記になっています。“Fukushima”は今、ポジティブに扱われるワードではありませんが、この映画を見ていただければ『こんな男たちが世界を救ったのかもしれない』と、何か素晴らしいパワーを届けられると信じています」と熱く語り、佐藤が「震災はいつも深い傷跡を残す。でも、負の遺産を明日へ、未来へバトンを渡すこともできると思う。明日への遺産に変えられるよう、みなさん、願ってください」というメッセージで締めくくった。
映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)は3月6日(金)公開。