貴重な討論会といわれる理由
今から半世紀ほど前となる昭和40年代当時、世の中に不満を抱き、自分たちの手で日本を新しく変えていこうと国家に反発していた過激な東大生たち。彼らは、日本の古いあり方を否定し、時には安田講堂を占拠する事件を起こしていた。
一方、三島は日本に誇りを持ち、日本の伝統と文化を大切にする、過激な東大生たちとは真逆の考え方だった。討論会当日、「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と盛り上がり殺気立つ若者たち。
その中で三島は警察からの警護の申し出を辞退し、たった一人で乗り込み学生たちと対峙した。その後、1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で憲法改正を訴えた後、45歳の若さで自決した三島が、その約1年半前に行った討論会は、のちに「伝説の討論会」といわれた。
そんな貴重な「三島VS東大生」の激論映像とは一体、どんなものなのか、いったい何故、三島は1人VS東大生1000人という無謀なケンカに挑んだのか。
映像では異様な熱気と緊張に包まれる中、三島が壇上に立ち、「私は男子ひとたび門をいずれば、七人の敵もありというんで、今日は七人じゃきかないようで、大変な気概をもって参りました」と、1000人の学生を前に堂々と決意表明をする。
そんな三島に対し、東大全共闘の中でNo.1の論客と言われた天才・芥正彦(あくた・まさひこ)は、「そういうところに物書きなんかが来て、恥ずかしい気がします!」と切り込んでいく。
天才同士のとてつもない言葉の応酬が始まり、常人には理解しがたい熱い論争が繰り広げられる貴重な映像を見た太田と又吉は、三島の言葉に衝撃を受ける。
3月13日(金)夜7:00-8:00
TBS系で放送