原元美紀(はらもとみき)
原元美紀のプロフィール
- 誕生日
- 1969年4月29日
- 星座
- おうし座
- 出身地
- 東京都新宿区
- 血液型
- A型
主な出演最新作
原元美紀のSNS
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「劇場版 アナウンサーたちの戦争」橋本愛さん舞台挨拶 ”無関係ではいられない”
「劇場版 アナウンサーたちの戦争」、橋本愛さん舞台挨拶の司会を務めさせてさせていただきました。 この作品は、太平洋戦…
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「劇場版 アナウンサーたちの戦争」、言葉が兵器となった
「アナウンサーは根拠のない報道をしてはならない」私が32年前に新人アナウンサーとして研修で受けた教育だ。この言葉の基と…
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「こち亀」で両津勘吉さんとお見合いしました!?
ちょっと久しぶりの投稿です。 以前出演させていただいたアニメ「こち亀」の一番好きな回が今公式YouTubeで限定公開中…
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免許更新!5年の変化は?
優良ドライバーなので、5年ぶりの運転免許更新な続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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「輝く50代」爆進中!?
4/29に55歳の誕生日を迎えました。 いつも年齢を書くのですが、同級生から「私の年齢もバレるから止めろ」と言われるこ…
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事件から52年、「あさま山荘事件の中と外」を語るオンライントークイベント公開
52年前の1972年2月28日、「あさま山荘事件」が起きました。 私はこの事件にどうしようもなく惹かれて、当時日本テ…
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「劇場版 アナウンサーたちの戦争」、橋本愛さん舞台挨拶の司会を務めさせてさせていただきました。 この作品は、太平洋戦争でNHKアナウンサーたちがラジオを通して声と言葉を武器にプロパガンダ放送を行い、戦意高揚・国威発揚、そして偽情報で敵を撹乱させたという事実を基に映像化されました。 登場するNHKアナウンサーは全て実在の人物。戦争下、”声を武器”に国民を戦争の熱狂へと駆り立てた罪と苦悩にNHK自ら真正面から取り組んだ問題作で、この事実を決して歴史の闇に埋もれさせないという関わったすべて人たちの覚悟と熱量が伝わってきます。 主人公の伝説的アナウンサー和田信賢役は森田剛さん。その妻でアナウンサーの実枝子役を橋本愛さんが演じられました。 本日の舞台挨拶では、橋本愛さんが「この映画に出会ってご自身の中で変化したこと」や「言葉についての思い」などをお聞きしました。 特に印象的だったのは、「誰も皆、戦争に無関心でいることはできても、無関係でいることはできない」「これまで、『何を話すか』ということばかり考えていたけれど、今、新たに『何を話さないか』ということが大事なのだと思うようになった」一言一言噛み締めながら語る口調に、橋本愛さんにとって「言葉の重み」が強く感じられた作品となったことが伝わってくるようでした。 実は橋本愛さんは、直前のお打ち合わせで、「今日は『望遠鏡』でしゃべりますね。『虫めがね』でしゃべったら大変だ!うふふ」と作中にも出てくる和田信賢の有名な言葉、”虫めがねで調べて、望遠鏡でしゃべる”に引っ掛けてお話をされていました。 和田信賢の教えがそのまま橋本愛さんの心に刻まれているのですね。 森田剛さんと初共演された感想は、「どこか獣のような印象があるというか、はみ出しているというか、通常私たちが生きていく上で使っている五感の感度だったりとかが、どこか振り切れているような。あのエネルギーを間近で身近で感じたらどうなっちゃうんだろうなって」と語られました。 今回のキャスティングは、演出のNHKドラマ番組部チーフディレクターの一木正恵さんが100%決められたそうです。 一木さんに橋本愛さんを選ばれた理由を伺うと、”これまで2作品(「はつ恋」「いだてん」)でご一緒した信頼関係があり、軸になる大切な役を演じられる客観性と熱量を併せ持つ俳優さんは橋本愛さんしかいないと思った」 そうお伝えすると、「実は、森田さん一木さんと3人で最初の台本読みの時、『もう(一続きをみる
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「アナウンサーは根拠のない報道をしてはならない」私が32年前に新人アナウンサーとして研修で受けた教育だ。この言葉の基となる話、「劇場版 アナウンサーたちの戦争」を観た。(少しネタバレ) 昨年8月のNHKスペシャルでのドラマ版はあまりのショックに何度も繰り返し見ているが、今度の劇場版はディレクターズカットを含めより衝撃波が広がる。 NHKがラジオ放送を開始したのが1925年(大正4年)、来年で100年だ。そして終戦から80年を迎える。 あの太平洋戦争の影で、アナウンサーたちの声が「兵器」とされていた。もしやこのまま歴史の闇に葬り去られてしまうかもしれない事実を映像化したのがこの「アナウンサーたちの戦争」だ。 1941年12月8日、太平洋戦争勃発。ラジオが開戦を告げる。日本では軍隊による戦争を支えるもう一つの戦いが展開されていた。 ラジオ放送によるプロパガンダ放送『電波戦』だ。この作品を見るまでの私は、『大本営発表』とは軍が主導で日本が劣勢なのをまるで勝ち進んでいるかのように報道させ戦意高揚を促した放送のことだろうくらいに思っていた。しかし、実際の放送は違った。日本軍は占領した中国、朝鮮、満州、台湾、南方の島々などにNHKの放送局員を派遣し放送局を作り、日本語放送による植民地の日本化だけではなく、偽の情報を流し、上陸地点を惑わせたり援軍が来るなどと敵国を撹乱していたというのだ。その数100局以上。アナウンサーだけでも100名ほどになるという。立派なアナウンサー戦士だ。 しかし、戦況は泥沼化し、アッツ島は2,600人、インパール作戦では日本兵3万人が戦死。それでも国民は熱狂し、日本は特攻作戦、東京大空襲、広島、長崎の原爆投下という運命へ突き進む。終戦を告げたのもラジオ放送だった。 ラジオは放送開始からわずか15、6年ほどで戦争に巻き込まれた。国のためと信じて言葉を発し続け、戦争の中心に置かれ、人を守るはずのアナウンサーの声が「兵器」と化していった。軍と『電波戦』を繰り広げた数年間、どれほどの人命が失われたのだろうか。 32年もアナウンサーという仕事を続けてきて、放送の歩みと戦争の歴史がこれほどまで絡み合っていたのかと初めて知り、声も出ない。 この作品は、実話に基づいてドラマ化、放送と戦争の関わり、当時のアナウンサーの葛藤と罪に向き合った作品だ。絶対に歴史の闇に埋もれさせないという強い意志を感じる。 私はこれまで多くの戦争ものを目にしてきたつもりだが、それでも現代人の感覚で戦争を振り返る時、「なぜ戦争反対と声を上げられなかったのだろう」「冷静な判断ができる人がいなかったのだろうか」「自分の家族が兵隊に取られることに本気で反対しなかったのだろうか」と素朴な疑問が浮かぶが、その答えはいつも『時代の空気』という言葉に集約されていた。 この作品を見て、「時代」を生み出したのは軍部かもしれないが、「空気」を固めたのは当時のアナウンサーが大きな役割を果たしていたと思うに至る。 映画の主人公は、実在の天才アナウンサー和田信賢。彼を軸に、「軍艦マーチ」を流しながら開戦を告げる勇ましいアナウンサーの声、国民の熱狂に「自分の声が国民の心を動かしまとめ上げている」とほくそ笑むアナウンサーたちの姿が描かれる。 戦続きをみる
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ちょっと久しぶりの投稿です。 以前出演させていただいたアニメ「こち亀」の一番好きな回が今公式YouTubeで限定公開中なので、ご紹介です! 【公式】アニメこちら葛飾区亀有公園前派出所第293話 「両さん熱愛宣言!?」 今回私の役は・・・、両津勘吉のお見合い相手の吉永真琴役です! ちょっぴり切ないストーリーにキュンとなった「こち亀」ではとても珍しい回なんですよ。ぜひご覧ください。 7/29(月)12:00〜8/12(月)12:00、期間限定配信です。 【公式】こちら葛飾区亀有公園前派出所 第293話「続きをみる
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4/29に55歳の誕生日を迎えました。 いつも年齢を書くのですが、同級生から「私の年齢もバレるから止めろ」と言われることが増え、それもそうなのですが、私の人生の夢が『輝く50代』なので、やはり公表します。 1992年、私が新人アナウンサーとして入社したのは、名古屋のCBC。 その新人研修初日、担当教官だった多田しげおさんという20歳上のアナウンサーの先達に、 「アナウンサーになりたくてアナウンサーになったヤツはいらん!」 といきなり強烈パンチを浴びせられました。 どゆこと?世はアナウンサーブームでフジテレビには1万通の応募が殺到と言われるほどの時代です。 私だってアナウンススクールに通って必死で勉強したのに・・・。 多田アナの真意は、 「アナウンサーになりたくてなったヤツはもう22歳で夢が叶った。そこが人生のピークになり、後は目的もなく肩書きにしがみつき下降するだけ。そういうヤツは使いものにならん。 本当に活躍するヤツは、『人生の夢』があり、それを叶える方法を考えた時、アナウンサーの仕事を通してやることが最適だったからという考え方のヤツだ」 なるほど。深く納得しました。 そしてこう続けたのです。 「人生80年として、50歳を社会的、経済的、健康的に総合的なピークとして考えるとちょうど良いだろう。 お前ら、50歳になった時に、どんな自分でいたいか?どんなことを成し続きをみる
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52年前の1972年2月28日、「あさま山荘事件」が起きました。 私はこの事件にどうしようもなく惹かれて、当時日本テレビアナウンサーとして10日間実況を担当し50年も事件を取材し続けている久能 靖さんにお話を聞かせていただき、資料を集め取材旅行に出かけトークショーを2回開催しました。 第1回目は2012年「あさま山荘事件と報道」当時のマスコミ報道はどのようなものだったのかを久能 靖さんに検証してもらいました。 第2回目は2014年「元連合赤軍メンバー植垣康博氏が『総括』を語る」事件のもう一つの衝撃である仲間のリンチ殺人事件を赤軍兵士だった植垣氏をゲストに迫りました。 そしてあさま山荘事件から50年の2022年は、コロナ禍ということでオンライントークショーを開催。 あさま山荘立て籠もり犯の一人で、服役後農業を営んでいる加藤倫教氏に一体中で何がきていたのかを語ってもらう、題して「あさま山荘の中と外」! 「外」から実況をしていた久能 靖さんと、続きをみる
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