脚本賞は「MIU404」野木亜紀子氏 ラストシーンは『連続ドラマでなかったら生まれていない』<ドラマアカデミー賞・インタビュー前編>
最終回の展開は、新井P&塚原監督と「夜の22時集合で相談」
――審査員や記者の評価でも「緻密に計算された脚本で、伏線の回収が見事」という声が多かったのですが、あの最終回の展開は最初から考えていたものではなかったのですね。
そうですね。最初に企画書を書いた時点で一応、終わりまでの流れを考えてあって、伊吹と志摩の4機捜が追われる立場になり、SNSで「MIU404」のハッシュタグが流れる…というところまでは予定にありましたが、実際の最終話は、第9話からラストシーンまでの一連の流れを考えるタイミングで生まれたものです。
ただ、常に物語が破綻しないように意識し、回収していないことを念頭に置きながら、それを全部やるにはどうしたらいいのだろうとは考えていました。現実ではないシーンを描いたのも、第6話では志摩とその相棒だった香坂(村上虹郎)の過去になかった邂逅を出したので、最終話で未来のなかったはずの邂逅を描いても、筋は通っているのではないかと。それまでずっと人生を変えるスイッチの話をしてきましたし、スイッチが現実とは違う方に入ってしまったパターンをもう一度見せようと思いました。
そこに、オリンピックが予定どおり開催されたという“if(もしも)”も入ってくるわけです。これは2020年秋の今しかできないことだし、他のドラマでもやっていないから面白いと。そこまで思いついたけれど、この壮大な話を普段しているリモート打ち合わせでは説明できる気がしない(笑)。そこで、新井さんと塚原さんに「対面で打ち合わせをしたいのだ」と言って、夜の22時集合で相談しました。
――久住の正体だけは本名も分からず、謎として残されました。
久住がどこで生まれてどう育ったかという背景は、私の頭の中にはあります。プロフィールとしてすごく長いものを書いて、菅田さんには渡しました。でも、それをオープンにしてしまったら面白くないので、言いません(笑)。みなさんの好きに受け取ってもらえたらと思います。
実は映画「ジョーカー」(アメリカ・2019年)に納得がいってなくて、久住についてはそのアンチテーゼで書いたところがあります(編集部注:「ジョーカー」では貧困層であり精神疾患がある青年がテロリストのジョーカーになるまでが描かれた)。もし菅田さんでなかったら、最終回はあそこまでじっくりと久住を描かなかったかもしれません。とても魅力的に演じてくださいました。
――ラストシーンで伊吹と志摩がマスク姿で登場し、ウイルスの話をするのにも驚きました。
あのシーンが生まれたのはコロナ禍があったからでしかないですね。もともと全14話でオリンピック前までを描く予定だったのに、オリンピックが延期になり、どこで終わればいいのか分からなくなってしまった。私たちの意志で未来は選べるけれども、選べないことも多々あり、その代表が新型コロナウイルスじゃないですか。それによるオリンピックの延期も完全に不可抗力で、でも、私たちはこの現実から生きていかなきゃいけない。そういった状況が、「MIU404」で描こうとしたテーマにすごくマッチしているなと思いました。
それで、最後にマスクした彼らがあの競技場前からスタートしたわけですが、それにはある種の運命的な合致を感じました。たまたま2019年4月から物語を初め、2020年で終わる設定にしていたのも奇縁というか…。連続ドラマでなかったら生まれていない展開で、タイミング的に良いかんじに取り込めたのもラッキーでしたね。