当時について林先生が「危ない目に遭ったりしなかったんですか?」と尋ねると、斎藤は「テレビでは言えないような…拉致されたりとか、“走馬灯”を実際に体験したんですね。アジアでは身ぐるみ全部盗まれてしまって、大使館に行かなきゃっていうことも」と、壮絶な体験もさらりと打ち明けた。
高校3年時には「パリコレクション」のランウエーも歩いた。20歳の時、映画「時の香り~リメンバー・ミー~」(2001年)で俳優デビュー。いきなり主演に抜てきされたが、当時の俳優活動は順風満帆というわけではなかった。
斎藤いわく「当時はとにかくオーディションに落ち続けていまして、100本受けて100本落ちるぐらい」という状況。学生時代には自分自身を「無味無臭な味わいのない素材で、味付けをしないとつまらない」と感じていたという。
「自分のつまらなさを味付けして…」
そこからの一つの転機が、映画「海猿-ウミザル-」(2004年)。水着審査後、「僕はこの(水着姿の)ままでいいでしょうか」と、印象を残すためにあえて水着姿のまま演技審査に挑み、制作陣に強烈なインパクトを与えた。斎藤は当時を「その辺りから、自分のつまらなさをどうにかオーディションの場で味付けして、打率をちょっとずつ上げていった、そのきっかけになりました」と振り返る。
そして40歳の今、「シン・ウルトラマン」でウルトラマンに変身する主人公という新たな役に挑戦している。そんな斎藤には、ウルトラマンとの意外な関わりがあった。
「父が初めて映像業界に入ったのが円谷さん(プロダクション)のアルバイトで、ウルトラマンタロウの爆破担当だったんです。当時は(家に)テレビがなくて、外部との接点は映画とウルトラマンのフィギュアだけで」と、幼少期からウルトラマンがごく身近にあったという。
林先生が「そのウルトラマン(役)ですもんね!」と感嘆の声を上げると、斎藤も「数奇な運命です」と頷いた。
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松竹