カンヌ国際映画祭アウトオブコンペ部門で上映された際には、12分という史上最長のスタンディングオベーションを受け話題となった、エルヴィス・プレスリーの伝説を、バズラーマン監督が映画化した映画『エルヴィス』が7月1日(金)より公開された。本作で主演を務め、見事プレスリー役を演じた、オースティン・バトラーが日本に初来日し、本作について、「2年間、ほかには何もしないで、彼のことを研究しまくって演じた」と振り返り、「人間エルヴィスプレスリーと出会ってほしいと」作品に対する想いを話した。
バズ監督から“Mr.プレスリー、飛ぶ準備はできているかい?”と言われ二人のコラボレーションが誕生
――はじめに、エルヴィス・プレスリー役に決まった経緯と、決まったときの心境をお聞かせください。
バズ・ラーマン監督が映画を撮ると知り、以前、友人から、「エルヴィスを絶対に演じてほしい」と力説されていたので、これは運命だと思い、僕がバズに、アンチェインド・メロディを歌っている動画を送りました。その動画に対して、バズが反応してくれて、ニューヨークに来てくれないかと言われ、会ってから3時間も話しました。翌日、バズから「セリフを読んでみない?」と言われ、正式なオーディションとは違った形で、僕とバズがコラボレーションできるか確認しているようでした。
5ヵ月間、そのようなやりとりが続いて、正式に回答をもらわなければならなかったので、スクリーンテストをしました。1週間後に、バズから映画のセリフにもある「Mr.プレスリー、飛ぶ準備はできているかい?」と言われ、人生で最高の瞬間を迎えました。もちろん嬉しかったし、スリルを感じたけれど、同時に物凄い責任を感じたので、「今すぐ準備にかからないと」と、思いました。
――実際に演じてみていかがでしたか?
最初から、この映画に参加することで、自分は全く最初とは違った人間になるだろう、変わるだろうと、思っていました。それがどのような意味を持つのか、最初はわからなかったんですが、自分では引き出せないものを引き出してもらったり、あるいは未知の挑戦っていうものを体験するんだろうなと思っていました。最終的に恐怖心に対する自分の考え方が少し変わりました。
僕もエルヴィスも、すごくシャイで舞台に上がることにすごく緊張してしまうタイプなんです。さらに、今回エルヴィスを演じるっていう責任をとても大きかったし、彼のレガシーとか家族とかたくさんの方がそこにはいるわけです。でも、よく考えれば、エルビス自身もそうで、エルヴィスがエルヴィスであることのプレッシャーというのもあったし、それから家族、友人たちを、どう守っていくのか、彼は考えていただろうから、かけ離れているなと思っていたエルヴィスが実はいろいろと自分と繋がっているということに気づいていきました。本当にたくさんのことを学び、今は最初に始まった頃と全く違った人間になれたと思っています。
オースティンにとって“エルヴィス”とは「芸術性の高さを知り、より好きになった」
――エルヴィスの伝説が語り継がれている中で、オースティンさんが生まれる前にエルヴィスは亡くなっていますが、オースティンさんにとってエルヴィスとはどのような存在ですか?
僕のお祖母様がエルヴィスのファンで、遊びに行くと家で50年代の音楽がかかっていたりエルヴィスの映像がかかっていたので、彼のことはよく知っていました。ただ60年代と70年代の音楽と、彼の人生についてはあまり知らなくて多分皆様と同じようなエルヴィスのイメージがあったと思います。ある意味、我々の社会の壁紙といわれていましたが、本当に、そこにいるような、存在になっていました。でも、この作品に参加することで、すごくたくさん学ばせてもらいました。
――演じる前と後で、エルヴィスプレスリーに対するイメージは変わりましたか?
一つにはアイコンと呼ばれている人って必ず誤解されているところがあると思います。突然その世界にその状態で登場したというふうに私たちは思いがちなんですが、実はそうではありません。僕もエルヴィスに関して、彼が双子だったこと、その双子の兄弟が亡くなっていることっていうことを知るっていうのはとても興味深いことでした。生まれながらにしてもう1人の自分というのがいなくなったわけですよね。そこにはずっと虚のようなものがあったわけです。でも、母親はすごく悲しんでいたときにエルヴィスというミラクルが生まれて、逆に母親との絆を強めるものになっていたわけです。
もう一つは、やっぱりこのエルヴィスという存在といえば、ブラックミュージック、ブラックカルチャーというものなくしては、存在しなかったっていう文脈を今回しっかり描きたいと思っていました。ゴスペルの音楽が奏でられていたテントとか、協会やビールストリートで聴いた音楽に触れなければ彼の音楽というのは誕生しなかったわけです。あと知らなかったのは、彼の感受性の豊かさやもろさ、不安定なところでした。あとは、障害スピリチュアルな人だったようですし、彼のユーモアのセンスを知れば知るほど、彼のことがもっと好きになりました。