閉じる

石を蹴るバイト/小林私「私事ですが、」

2023/05/13 20:00

ザ 石を蹴るバイト
ザ 石を蹴るバイト ※本人提供写真

美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は、摩訶不思議なアルバイトのショートストーリーです。



田舎の夏は暑くていけない。田んぼの水が蒸発して余計に蒸したような感じがするし、けたたましく鳴く蝉も暑苦しいったらない。強いて言えば、泥だらけになった足がみるみる乾いて、土がぽろぽろ剥がれるのが好きだった。高校二年生にもなってそんなことをしてたら笑われてしまう。

都会に泥はないという。テレビで見る銀色のビル群は太陽の光を反射して涼やかに立っている。うちはあんまり金持ちじゃない。いつも制服がきれいなクラスメイトは夏休みは都会に行くらしい。この町は嫌いじゃないが、何もない。俺はいつかここを抜けて都会に住みたい。年を重ねるごとにそう思うようになった。

田舎と言っても駅はあるし、最近コンビニも出来た。と言っても店長は以前そこにあった商店の店長だ。見た目がちょっと小奇麗になったって、レジにあの店長がいるんじゃ気分は変わらない。でも他に行くとこもないし。

「いらっさい、・・・三ちゃんか!」

ずっと店の中で仕事してるのに何故だか年中真っ黒に日焼けしている店長と目が合う。せっかくコンビニに来たのにこれだ。長田(おさだ)と書かれた名札が目に入る。小さい頃から周りの誰もが店長と呼んでいたのでつい最近まで名前を知らなかった。コンビニと商店で大きく変わったのはそれくらいだ。

「あんだぁ、三ちゃん。夏休みだってぇのに。よその子らぁは皆出かけとるさ」

「俺んち、金ないから」

「まぁた休みん日も制服じゃ。やんことねぇならバイトでもせな」

冗談じゃない。町で一軒だけのコンビニで働いてたら笑われる。そう思っていたら、バイトの発音がライオンでなく体温だった店長が差し出してきたのは、アルバイトの求人雑誌だった。

「こらタダじゃけぇな。持ってき」

派手な表紙で労働を煽る雑誌をぱらぱらめくると、世の中にはこんなに働き口があるのかと衝撃だった。この町に求人はなかったが、隣町まで足を伸ばせば、あの中華料理屋やあの本屋もバイトを募集していた。

スーパー、酒屋、引っ越し、事務、家庭教師、イベント警備、様々な業種を見ていく中で気になる職種があった。リゾートバイト。緑豊か、もしくは海の見える場所で住み込みで働こうというものだった。緑豊かとか海とかはどうでもいい、気になったのは”住み込み”という文言だ。そうか、住み込みで働けば金がなくても都会にいられる。行きの金だけ用意出来れば帰りの交通費くらいは稼いで帰ってこれるだろう。

都会で住み込みが出来て、ワガママがあるとしたら多少は楽そうな...


店長に求人雑誌を貰ってから三日後、俺はバイトの説明会会場にいた。我ながら迅速な動きだった。即座に電話で応募し、いつか都会で遊ぼうと貯めていた金を崩して夜行バスを取った。行こうと思えば案外、すぐに行けてしまうのだな。

会場は無数にあるビル群の一つに溶け込んでいた少しだけ古びたビルのオフィスだった。目の細いスーツの男に案内された部屋に雑多に並べられたパイプ椅子の一つを陣取る。どうやら俺は一番乗りなようだ。

窓から見えるキラキラした高層ビルを見ながら、本当はあっちが良かったのだけど、都会に来たんだという実感が沸いた。しかも仕事で、だ。同級生達は家のお金で遊びに来ているだけだが、俺は仕事をしに来ているのだ。その差が今まで埋まらなかったものを埋めてくれたような気がして、無性に胸が鳴った。

「えー、あーあー。ゴホン。これより説明会を開始致します。」

気付くとアナウンスが始まっていた。窓から目を離して会場を見るといつの間にか十数人の応募者が集まっていた。ぱっと見た限りでは店長と同じくらいか少し若いおじさんばかりで、同い年くらいの人は見当たらなかった。

案内をしてくれた目の細いスーツの男がホワイトボードの前に立っている。マイクの調子が悪いのかマイクの頭のところを何度か指先で小突く音が聞こえた。

「ゴホン、えー、お集まりの皆さんは、既にご存じかと思いますが、事前の募集要項の通り、明日から石を蹴っていただきます。」

そう、このバイトは石を蹴るバイトだ。都会で住み込みが出来て、多少は楽そうな...それがこのバイトだった。石を蹴る、というのはよく分からないし、時給もそこそこ安かった。ただ都会に住むという目的は、一週間の上限付きで半分果たしているようなものだし、これだけ人の溢れる都会ならどんな変な仕事でもおかしくないと思った。

「...と、いうことで説明会は以上になります。集合時間、勤務地などお間違えの無いよう。えー、住み込み希望者の方は鍵をお渡ししますので、準備が出来次第こちらに並んでください。」

生まれて初めての一人部屋は多分、今思えばとてつもなく狭かった。貸し出しのせんべい布団を敷いたらほとんど埋まってしまったし、小さな窓からは隣の宿の壁しか見えなかった。それでも俺の興奮は止まなかった。

夕飯を買いに出た夜の街はぴかぴかと光っていた。コンビニはやる気のなさそうな大学生が何の興味もないといった顔で応対してくれた。気温は夜になってもそう変わらず暑かったが、こっそりしゃがんで触れてみた真っ黒なアスファルトは、なんとなく冷えてる気がした。

そして勤務初日、集合時間の10分前には勤務地に到着した。勤務地というよりは建物の間にぽっかりとある空き地で少し不安になったが、時間が近づくにつれて昨日見たような顔もわらわらと集まってきた。
くたびれたキャップを目深に被ったおじさんが、どうやら聞かされていたバイトリーダーのようで、慣れた手つきで人数を数えていた。

「あー、そいじゃあ、開始ー。」

気だるげな声で開始の合図を告げた。周りを見渡すと俺と同様今日が初日らしい奴らがキョロキョロしていて、やがて古株らしい数人の動きに合わせるように石を蹴り出した。

子供のこぶしくらいの大きさの石を軽く蹴って、最初の位置に戻す。蹴って戻す、蹴って戻す。なんだ簡単だ、と思いきや周りの人にぶつけないように軽く蹴るのに若干神経を使う。蹴って戻す。蹴って戻す。せっかくビルの日陰にいたのに、だんだん日が真上に昇って頭を焦がす。ふつふつと汗が出てくる。蹴って戻す。蹴って戻す。

朝10時から2時間ほど蹴り続けて昼休憩を迎えた。ご飯は有り難いことに支給された。ペットボトルの緑茶は常温で、弁当は湿気たちくわの磯部揚げとご飯に張り付いた海苔、乾いてるたくあんが二切れ。ご馳走とは流石に思えないが、仕事の休憩で食べるには一番ちょうどいい気もした。

程なくしてリーダーが休憩終了と業務開始の合図を告げた。また蹴って戻す。蹴って戻す。これだけ続けていると周りの人を見る余裕も出てきた。蹴って戻す。少し離れたところからおじさんの怒鳴る声が聞こえた。蹴って戻す。きっと勢い余って近くの人に石をぶつけてしまったんだろう。蹴って戻す。気付くと脳天を焦がすような日光はまたビルの後ろに隠れて、少し涼しくなっている。蹴って戻す。スニーカーの先が少しひしゃげてきた気がする。蹴って戻す。足の指を傷めないよう気を付けなくては。蹴って戻す。蹴って戻す。

それから、何事もなく一週間は終わった。仕事が終わって一度部屋に戻る。今朝は少し寝坊したので広げっぱなしになっていた布団を畳む。少しだけの着替えが入ったリュックサックを背負って鍵を握る。最終日は開けておくんだっけ。

帰りの夜行バスが出る時間まで部屋でぼんやりしてから、初日以来のオフィスに戻った。集合時間は特に決められていなかったからか、説明係だったスーツの男以外はもう誰もいない。相変わらず細い目と目が合った。

「一週間、お疲れさまでした。」

「あ...どうも」

「学生さんかな。夏休み?」

「ああ、そんな感じです」

細目は初日とは変わって、柔らかい口ぶりで話しかけてきた。もうほとんど仕事も終わったからだろうか。なんとなく子供だと舐められているような気がして、俺は鍵を返しながらモゴモゴと言った。

「いやあ、いつも人手が足りないから、助かるよ。また来てください。」

「......あの」

「何か?」

「いや、何でもないです。...おつかれさまでした。」

なんでこんな事を?そう聞こうとしてやめた。野暮だと思ったからだ。でも聞いとけば良かったかもな、と揺れる夜行バスから見える輝くビル達を眺めながらそう思った。

この記事はWEBザテレビジョン編集部が制作しています。

◆小林私「私事ですが、」過去の連載はこちら◆

●ダ・ヴィンチWeb
https://ddnavi.com/serial/kobayashi_watashi/

小林私連載まとめ
小林私(こばやし・わたし)
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。
Twitter:https://linktr.ee/kobayashiwatashi
Instagramhttps://www.instagram.com/yutakani_records/
YouTubehttps://www.youtube.com/channel/UCFDWRdFhAFyFOlmWMWYy2qQ/videos
YouTubehttps://www.youtube.com/channel/UCVu6WzEJ2ogy0OyCBANsyuQ/featured
HP:https://kobayashiwatashi.com/
光を投げていた
光を投げていた
小林私 (アーティスト)
インディーズ
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

画像一覧
1

  • ザ 石を蹴るバイト

関連人物

  • No Image

    小林私

  • 【春アニメまとめ】2024年4月期の新アニメ一覧

    随時更新中!【春アニメまとめ】2024年4月期の新アニメ一覧

  • 【春ドラマ】2024年4月期の新ドラマまとめ一覧

    随時更新中!【春ドラマ】2024年4月期の新ドラマまとめ一覧

  • 第119回ザテレビジョンドラマアカデミー賞

    投票〆切は4/5!第119回ザテレビジョンドラマアカデミー賞

  • 【冬アニメまとめ】2024年1月期の新アニメ一覧

    随時更新中!【冬アニメまとめ】2024年1月期の新アニメ一覧

  • 「ザテレビジョン」からのプレゼント!

    「ザテレビジョン」からのプレゼント!

  • 推したい!フレッシュFACE

    推したい!フレッシュFACE

もっと見る