
横浜流星が主演を務める大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)。森下佳子が脚本を務める本作は、18世紀半ば、町民文化が花開き大都市へと発展した江戸を舞台に、“江戸のメディア王”として時代の人気者になった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱と“エンタメ”に満ちた人生を描く“痛快”エンターテインメントドラマ。
「べらぼう」の物語も第16回の放送を終え、初回からその大きな存在感を放ってきた平賀源内との別れが描かれた。特に安田顕演じる源内のすさまじい狂気と悲痛な最後には胸が痛くなる。WEBザテレビジョンでは、チーフ演出・大原拓ディレクターにインタビューを実施。第16回の裏側ついて語ってもらった。
源内という人を演じる上では「適当である」ということが大切でした
――大変反響も大きかった第16回の演出について、大事にされていたこと、意識されたことを教えてください。
やはり平賀源内の最後であるということを特に大事にしていました。蔦重にとって、「耕書堂」という本屋をやっていく上での始まりも、その後、彼が新たに日本橋などに出ていく上でも、源内が蔦重に与えた影響はとても大きいです。源内という人物に対しての蔦重というものは何だったのだろうかと、その部分が表現されていく回だとも思いますので、源内の最後というものが蔦重の今後にどう影響していくのかということを意識して作っていきました。
そして平賀源内という歴史上あまりに有名な彼に関して、事実が分からないことも多々ありますが、その部分をどのように描き見せていくのか、とても大事に作りました。
――安田顕さんのお芝居で、はっとしたことや驚かれたことはありますか?
安田さんはいつもすごく面白いんですよね。源内への演出的なオーダーとしては“適当”で“早口”であってください、というものでしかなかったんです。第16回ではある種の狂気的な部分をどういうふうに表現していくかということを相談しながら作っていきましたが、やはり源内という人を演じる上では「適当である」ということが全てなんです。
これは、「いい加減」という部分と、「適している、当たっている」という部分の両面があって。安田さんはその両面を立体的に表現してくださり、安田さんに預けていましたので、自由にやっていただきたいという思いでした。そのためには、どういうふうにやっていけばより面白くなるか、それら全てを表現していくにはどうするかということを現場で確認しながら作っていきました。
“元の源内”に戻ることが大事でした
――渡辺謙さん演じる田沼意次が源内に面会に行く場面も印象的でした。細かい動きなどは相談されたのでしょうか。
渡辺謙さん、安田顕さんと、3人で話しました。意次が源内に触れるシーンも、どのように触れるのか、ただ触れるだけではなくつかむのか、頭を撫でるのか…意次の源内に対する思い、そしてそこにすがるしかない源内というものをどのようにしたら表現できるのかと話していきました。
安田さんとも話したのですが、そこで一番大事だったのは、意次と話し、触れたことによってもう一度“源内”になるんですよね。“元の源内”に戻る。彼の生きる目標は意次の信頼であり、意次のためにという部分があるので、そこをちゃんと取り戻したいと。そこを大事にしたかったんです。それは森下さんの台本の中にあった部分ですし、あの場面でどういうふうにだったら触れられるだろうか、触れたいか、と。あの場面に関しては、どちらかというと安田さんはなすがまま、謙さんが思う触れ方で演じていった印象でした。
――“元の源内”に戻ることが大事だったというお話でしたが、だからこそ狂気的な、様子がおかしくなってしまった源内も印象的であり、衝撃的でした。狂気を表す長いシーンについては大原さんもやりたい、という気持ちだったのでしょうか。
やりたかったですね。実際、全部屋、廊下、庭という全部のセットをフル活用して動いていただいたので、大変ではありました。ですが、そこでは源内が追い込まれていることの強弱を見せたかったということ、そして彼の孤独というものも表現したいという思いがありました。源内がだまされているという中で、問題の本質に近寄れば近寄るほど人が死んでいく。その部分も含め、彼の孤独、誰も救いがない状態というものを作りたかったんです。長いシーンを撮らせていただきましたが、だからこそ、安田さんのお芝居の源内像がもっともっと現実的になったのかなと思いますね。

































