2人のシーンは台本を読んでいる時から楽しみでした
――強い絆で結ばれている西郷と大久保ですが、徐々に対立を深めていきます。11月18日(日)放送の第43回では2人で向き合って互いの真意を探るシーンがありますが、その撮影はどのような心境でしたか?
基本的に、2人のシーンは台本を読んでいる時から楽しみでした。
僕はその場で生まれる衝動をいかに素直に表に出せるかということが、芝居の面白さだと思っていて、それが特に亮平くんと2人での撮影ではできたんですよね。だから、「どのような演技にしようか」ということを話し合ってこなかったです。
第43回のシーンでは、大久保が冷徹に西郷をはねのけなければいけないけれども、その真逆で、西郷さんの言葉を受け入れてしまう気持ちもあると思って、すごく悩みました。
でも、いざ本番を迎えた時、西郷をはねのけることが無理だったんです。亮平くんの演じている西郷から、大久保に対しての愛情みたいなものを受けてしまって。大久保利通から、一蔵、正助に戻った部分がありました。
つい涙腺が緩んで、台本で書かれているものとはシーンの意味あいが変わってしまったかもしれないです。見てくれた方がどう感じてくださるかは分からないですね。
ものすごい苦しみがある一方で、恍惚を感じることも
――今作で感じた大河ドラマのやりがいや難しさを教えてください。
1カットにものすごい時間をかけて、キャストもスタッフもみんな愛情を持って撮影しているんですよね。
でも、どんどん次の週のせりふを覚えなくてはいけないので、1日撮影しただけでは、達成感がなくて、正直苦しい時もありました。
撮影していて、自分の中では80点以上が出てないと思ったんです。プロである限り、100点に近づけなきゃいけないとは思うんですが、撮り終わった時に「今の全然違うな、これでよかったのかな?」と思い続けた1年3カ月でした。
期間の長さがあればあるほど、ものすごい苦しみがある一方で、恍惚を感じることもあって、感受性が敏感になっていったと思います。
あとは、連続ドラマを3、4ヶ月で撮るのと違う点で言えば、鈴木亮平くんをほぼ毎日ずーっと見続けることです。何を食べているのか、今日はどのくらい疲れてるのか、あんまり寝られてないのかなとか分かるんです。でも亮平くんはせりふ完璧に入っているし、ずっと笑ってる、おいしそうにご飯食べていて。そういうちょっとした機微とか呼吸の仕方、せりふの言い回し、目の動かし方、全ての変化を感じ続けられました。
そして、終わってしまうと意外とあっという間だったことも不思議な感覚です。
――長期間の撮影の中で、役への理解が深まったという実感はあったんでしょうか。
台本を読んだ時に、瞬発的に「大久保はここで、こういうことは言わないんじゃないかな」という“ひらめき”が生まれることが増えました。
撮影を重ねれば重ねるほど、僕の中で「大久保はこういう人だ」ということが明確になっていく感覚があって、やっていてすごく楽になっていきましたし、気持ち良かったです。
――では、喜びを感じられたのはどんな時でしたか?
老若男女問わず見てもらえることがうれしかったです。
街中でも、年配の方にも声をかけていただけることが増えて、ものすごく長い感想を語っていただけて(笑)。本当に、じっくり見てくださるんだなと感じられるので、その長さがうれしいんです。見てくださる方の習慣になっていて、「毎週楽しみにしてるよ」って言葉がすごく励みになりました。
――これからの展開の中で、大久保の見どころになるのはどんなところでしょうか。
岩倉使節団として渡航して帰ってきた時から、大久保なりに誠実に、何を持って日本を動かさなきゃいけないのかという目標が明確になってきているところだと思います。
強い決断力の強さとある種の残酷性も持ちながら進んでいった大久保が、西郷と思想が食い違ったということは、僕の中では腑に落ちました。
でも、ぶつかり合って離れ離れになっても、大久保は死ぬまで西郷のことが好きで、心が繋がっているんです。そこがドラマの最後の見どころになるのではないでしょうか。