「この出演は中居くんがくれた花道」滝沢秀明が中居正広の前で決意の裏側を語る!
父親から分かりやすい愛情を受けた記憶はない…
1982年、東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢。幼少の頃から「父親からは子どもながらに分かりやすい愛情を受けた記憶はない」と話す。
そして幼稚園の時、両親が離婚し父が家を出て行ってからは、生活が一変し、極貧生活になったという。鉛筆、消しゴムすら満足に買えない。食べるものが無く、帰りの遅い母を待つ間、兄弟で1つのお菓子を分け合って食事代わりにした日々も。一刻も早くこの生活から抜け出したかった滝沢は、中学生になると「どうやったら子どもも働けるんだろう」とばかり考えていた。
極貧生活を抜け出すために受けたオーディション、そして今井翼との出会い
「どこでもよかったんです」と話す滝沢。ジャニーズに入りたいわけでも、アイドルになりたい訳でもなかったが、この生活から抜け出すためには自ら応募するしかなかった。その結果、書類選考を通過、オーディションに呼ばれた。そこで彼の人生を大きく変える出会いがあったのだ。
その時のことを滝沢は「ボロボロの服を着て。オーディションが終わる時に“僕がジャニーです”って…。ジャニーですって言われても誰だろう? って。僕は本当に詳しくなかったので」。そこでジャニー氏との出会いを果たした滝沢。そしてもう1つ大きな出会いが。後にユニットを組む今井翼だった。「隣に翼もいたんですけど、翼はジャニーさんが名前を聞いていて、この子受かったんだろうなって」。長年の相棒である今井への思いも語る。
タッキーは特別なことが普通だった
13歳でジャニーズJr.として活動を開始。そこで滝沢はジャニー氏について「小さい頃に学ばなきゃいけないことを1から教えてくれた人。どこかで“オヤジ”っていうのはこういう存在なのかな」と感じるように。幼い頃に家を出て行った父と別れ、初めて知る父親という存在。以来、滝沢はジャニー氏から演出のことから生活の規律のことまでさまざまなことを学んだ。思春期になると、時には自らの怒りの矛先をジャニー氏に向けることもあったが、いつも優しく受け止めてくれたという。
滝沢と同じ時期にジュニアだった山下智久が「(ジュニアの中で)タッキーは特別なことが普通だった」と証言するとおり、ジュニアの中でも特別な存在となっていった滝沢。「嵐を結成する時に、(5人がジュニアから)出たことで今後のジュニアをどうするか。ジャニーさんと相談しながらやっていた」というほど、ジャニー氏との関係は深かったという。