それは狂気に迫っていました
――あらためて、たびたび映像化される原作の魅力を教えてください。
「白い巨塔」という作品は、単なる跡目相続のあれこれを、とにかくしつこくやっていくんです。その熱量に惹かれました。それをなぜ“今”もう一度ドラマ化するのかとよく聞かれます。平成の30年間の間に、ひそかに時代が変わってきています。が、「変わらないものもあるんだ」ということをお伝えしたい。揚がる凧があれば、散る花もあるという永遠のテーマを、山崎さんは描いています。
撮影前には、田宮二郎さん主演のドラマ版(1978~79年、フジテレビ系)を、仕事の合間に3回に分けて見ました。山本薩夫監督による映画版(1966年)で描かれたストーリーだけだと、ある種のカタルシスが解けなかった。そんな読者の声もあって、山崎さんは続編を書いて、原作にあるカタルシスを解いたんです。
僕が手掛けた5話も、これでカタルシスが解けたのか分からないけれど、役者の方たちが「どうしてこんなにも必死なんだ」と思えるくらいに表現してくれました。そんな作品を、演出することが出来て、僕は光栄だと思っています。
――特に印象的だったシーンはありますか?
ガソリンの切れた財前が、松山さん演じる里見の友情にすがるシーンが印象的でした。終盤、泣きながら撮っていて、スタッフも泣いていました。岡田さんも松山さんも薄着で、一人は車いす、一人は立ち伏して…。
そんな岡田さんを長い間映像で見ていると、原作にも脚本にも書かれていない人物像をよくぞここまで財前を表現したなと思います。目が真っ赤になったり、呆けていたり、いつでも何かを探しているような…。
ラストカットでは、僕がいろんな指示を出した訳でも、身振り手振りを伝えた訳でもないのに、すばらしい演技をしていた。それは“狂気”に迫っていました。
――では最後に、作品の見どころをお願いします!
演出家というのは大したものではなくて、準備をしっかりして現場に行くと、最後の最後に頼りになるのはもちろんスタッフで。それでも、役者さんたちにそっぽを向かれたら何もできない。だからどうすればいいかを何度も考えて撮影に臨みました。
そんな中で岡田さんらが演じたキャラクターが、一体何をして、何をやろうとしているのか。うそだと思うほどに内的願望や欲求がむき出しになった彼らの人生を見届けていただければと思います。