「おじカワ」「トクサツガガガ」…今、なぜ“オタク”を描いたドラマが増えているのか
“オタク”を描いた作品はなぜ受けるのか
しかしながら、“オタク”が市民権を得たというだけではこれほど多くのドラマが生まれている理由にはならない。それではなぜ、このように多くの作品が作られ、受け入れられているのだろうか。
理由1:日本一億総“オタク”化
東京・渋谷のファッションビル「SHIBUYA109」のマーケティング研究機関「SHIBUYA109lab」とCCCマーケティング株式会社が合同で2020年4-5月にT会員である全国の15-24歳女性8201人に対して実施した調査によると、「自分が『●●ヲタ』と言えるものがありますか?」という問いに「はい」と回答した人は66.7%と、約7割にも上る結果であった。かつてはもっとも“オタク”から遠いと思われていた“若い女子”層でこの数字というのは驚きである。
さすがにこの調査は性別・年齢が偏っているにしても、現在自らを何らかの「オタクである」と考える人は総じて増えていると考えられるのではないだろうか。そして受け手自身が自身を「オタクである」と自認しているのであれば、オタクを描いた作品は“自分ゴト”となり、共感して見ることができる。“オタク”自認人口が増えているからこそ、これらのドラマは人々に受け入れられているのではないだろうか。
理由2:“謙虚”かつ“ユーモラス”な存在として描かれる“オタク”
これらのドラマ内で主人公は、己が“オタク”であることに一抹の後ろめたさを感じている。現実で“オタク”がそのように感じているかは一概に決めつけることはできないが、少なくともこれらのドラマ中の多くで主人公は劣等感やコンプレックスを抱いているように描かれているのである。その姿は一種の“謙虚”さとして人々に受けとめられているのではないだろうか。
また、“オタク”の「オタ活」は滑稽なものとして描かれる。例えば、「トクサツガガガ」のヒロイン・仲村叶は特撮もののガチャガチャをするため、周囲にいかにばれないようにするか工夫したり、同じガチャガチャをやろうとする小学生とかち合って苦悩したりと必死である。好きなもののために一生懸命になる姿は共感を呼ぶが、一方で思わず笑ってしまうようなユーモラスさも持っている。
このように「オタク」は“謙虚”かつ“ユーモラス”な存在として描かれるため、視聴者からの好感度が高いのではないだろうか。
理由3:「ありのままの自分」を受け入れてくれる物語構成
ドラマに登場する“オタク”は内面が成長することはあれど、たいていは自分の“オタク”的性質はそのままで居場所を見つけていく。
「おじさんはカワイイものがお好き。」では、主人公・小路は当初自身の“パグ太郎好き”を誰にも公表できなかったが、同じくかわいいキャラクターを推している同士を見つけて友情を育んでいく。「トクサツガガガ」でも最初“特撮オタ”であることを周囲にひた隠しにしていたヒロイン・仲村は物語を通じてオタク仲間を作ることに成功しており、最後は趣味を否定していた母親とも和解の兆しを見せる。
恋する相手に対し自分の趣味嗜好を隠した上、普段無頓着だった容姿も整えて接していた「海月姫」のヒロイン・月海に至ってはその後本来の姿のままで思い人にプロポーズまでされている。
このように、“オタク”を描いたドラマはありのままの自分たちや価値観、“好き”を受け入れてくれる物語構成となっているのだ。
現代は価値観やライフスタイルが多様化する時代である。令和になってますます自由に生きていく我々に寄り添ってくれる“オタク”を描いたドラマはこれからも「ありのままの私達」を受け入れてくれることだろう。