“女性移民第一号”波乱の生涯に注目女優も涙
BS-TBSでは2月23日(木)、歴史ドキュメンタリー「おけいが見た夢~会津からアメリカへ・女性移民第一号となった少女~」(夜11:00-11:54)を放送する。19世紀後半の会津藩、軍事顧問ジョン・ヘンリー・シュネルの提案により、藩主・松平容保は、アメリカ・カリフォルニアへ開拓移民団を派遣。開拓団の一人としてアメリカへ渡った当時17歳の「おけい」は、そのわずか2年後にこの世を去った・・・。
会津で、アメリカで語り継がれる、日本初の女性移民とされる少女・おけいの人物像に迫るドキュメンタリーで、番組ナビゲーター&リポーターを務める女優・鈴木聖奈に、取材を通じて感じたことを聞いた。
――ドキュメンタリーのリポーターを務めるにあたって、かなり勉強をされたのでは?
「初めて知る出来事だったので、いただいた台本に出てくるワードをチェックして、ネットを検索したり、文献を当たったり、横浜で取材させていただいた千野境子さんの著書(「日本人の足跡」)を読んだり、小説を読んだり、受験以来の勉強をしました。教科書で記憶のある岩倉使節団にも先駆けていた、歴史的意義のある事柄を取材させてもらえたことはとても貴重な経験でした」
――日本初の女性移民、「おけい」の身上に対する印象を教えてください。
「17歳で親元を離れてアメリカに渡ったという決断にまずびっくりしました。日本へ帰らなかったこともすごい決断だと思います。私は25歳の時に短期留学をしたのですが、3カ月ほどですごいホームシックになりました。人生トップ3に入るくらいつらかったんです。おけいさんが若松コロニー(入植地)で日本の方向の空をよく眺めていたという話を聞きまして、25歳の時の寂しかった思い出と重なりました」
――取材の前後で「おけい」に抱くイメージが変化したそうですね?
「10代で武家屋敷に奉公に出て、家族を離れてアメリカに渡ったくらいだから、気の強い、自立心のある女の子というのが取材前の印象でした。友達でも怒ってくれるような。でもいろいろ話をうかがっていくうちに、アメリカでの新しい生活を願った両親の気持ちを汲んで渡米し、日本に帰ることを選ばなかったのではないかと類推して、繊細な心情を感じました。とても気の利く、気遣いの素晴らしい方で、穏やかな表情の女性だったのではないかと、イメージが変わりました」
――会津での取材は、いかがでしたか?
「鶴ヶ城や砲撃地跡に足を運んだり、歴史資料センターを訪れたりしても、おけいさんの存在を思いながら見学するとガラリと印象は変わりますね。戦争の悲劇をより切実に感じられたり。会津にあるお墓は、アメリカと同じ様に作られているんですが、会津が見渡せる、彼女が好きだったと思われる場所に置かれています。地元の方の『魂が返ってこられるように』という気遣いや愛情を感じました。また、お会いした、会津の車いすの生活を余儀なくされている女性は、おけいさんの存在から生きる希望をもらい、おけいさんがそうしていたことを知って、常に笑っていることを心掛けているとおっしゃっていました。人々に勇気を与える存在なんですよね」
2月23日(木) 夜11:00-11:54 BS-TBS
番組ナビゲーター/リポーター:鈴木聖奈
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