「ママがモテないだけじゃないの!」
友人は、娘のことも、とてもよく知ってくれている。なんなら、娘はわたしより、友人のことを信用しているほど、ここも仲良しなのである。
「別に、いいんじゃない? 見てて、気にならないけど。電話も男の子としてるところ聞いたことあるけど、気にならないけどね」
「そうかな」
「何話してるの? どんなことが気になるわけ?」
「たとえば、そうだなぁ。髪型変えたんだ、とか」
「それは、いいんじゃない?」
「そうですか? わたしなら、言わないですね。男友達にわざわざ、電話で、髪型変えたという報告、何のために。いや、言わないですね、言わない。髪型変えたんだなんて、告白レベルだわ」
「それはないでしょ」
「それは、ないわ。言い過ぎましたね、だけど、特定の人にしか言っちゃまずいと思いますわ〜」
「気にならないけどね、私は。注意しなくても、いいと思うけど」
「あのね」
「うん」
「注意は、実は、もう、したんですよ」
「したの? なんて」
注意ではないかもしれない。昨夜の車内。外は暗くなりかけていた。冬が始まったなと感じる寒さになっていて、いつも開けて走る窓は、さすがに閉めたままにしていた。ママの親友かわいそうと言われた会話の流れで、「男の子が好きになるんじゃなくて好きにさせてるってこともあるんじゃないかな、あなたたちみたいなタイプの方々が!」と、青木さやかバラエティ全盛期の嫌味たっぷりのテンションで言ってみたのだ。すると、娘は、運転しているわたしの方に凄い勢いで体ごと九十度真横をむきなおり、「なんなの? わたしが色目でも使ってるっていうわけ!」と、目をひん剥いて、怒ってきた。バラエティの時は、そんな風に応戦してくる若い子はいなかったから、初めての体験に、おおお、と、たじろいだ。別にそうじゃないけど、ただ、わたしは、好きにさせない自信があるから、だから、とゴニョゴニョと伝えると、「ママがモテないだけじゃないの!」と、きた。そして、お互い、ふん!となって、家についても昨夜は別々にお風呂に入ったのだ。
「なんだそれ」と、友人は笑った。「どう思う?」と、わたしは聞いた。
「さやかにそう言われたら、色目使ってると思ってるの?と怒るのは、真っ当だと思うよ」
「あ、そう。まあ、そうですか、そうですよね」
「そうじゃない?」
「まあ、そうですかね、でも、モテないだけじゃない、なんて、ひどい、ですよね、まあ、そうなのかもしれませんしね。うーん悲しい」
友人は笑いながらおかわりのお茶を、わたしのカップに注いだ。
わたしからすると「一番苦手とするタイプ」
わたしは続けた。
「あのね」
「うん」
「わたし、同性として。同級生だったら友達にならないタイプだと思うの、うちの娘とは」
「ああ、うんうん」
「可愛くてね、可愛いということをわかっているようにみえてね、自分がどう見えてるかわかっている。可愛がられて、立ち振る舞いが上手くて。かつてのわたしからすると、ああいうオンナにはなりたくないよねえ〜って言ってるようなタイプ。そう、はい、わたし、ひがんでるんでしょうね、はい。」
「ふむふむ」
「ともかく、違うな、この人とは感覚、と思うだろうなと。大変苦手なタイプなんですよ、わたしからすると。そう思った時に、そうか、一番苦手とするタイプが、わたしの前に、なんとわたしの娘として現れたかーと、なんか、そんな風に思ったりして」
「うんうん」
「わかります?」
「わかるよ」
「わたしさ、人生とは、つけが回ってくると常々思っているのね。克服できてないことは、巡り巡ってくるもんだと。この苦手分野が、娘として現れたかと、はあ、もう、なんというか、で、聞いてもらいたかったわけ。ありがとね。掃除中に」
わたしは、ぬるくなったほうじ茶を目をつむりながら一気に飲んで、今度は自分でおかわりを注いだ。
母はどんなオンナだったのだろうか
そして思った。わたしの母は、どうだったのだろう。どんなオンナとしてのタイプだったのだろう。高校生の時に母と父は離婚した。その時、その後も、わたしの目からみると、母ではなくて教師、母ではなくてオンナにみえた。そこに嫌悪感を抱いたことが、わたしが母を拒否する一番大きな理由だった。母は離婚した時は、三十代だったのだ。あの時は、いい年したおばさんなのに、まだオンナでいようとする母って醜いと思った気がする。
わたしが母のオンナとしての人生を心の中で許さなかったことは、母はもちろん感じ取っていたと思う。わたしはスパイのように母の身辺を調べ上げていた。母が寝るとカバンをそっと開けて、手帳からレシートからチェックした。几帳面な母は全て手帳に書いていたので、わたしは全てを把握していた。だが、わたしはもちろん母にも誰にも何も言わなかった。ただ、わたしの記憶の中に毎晩毎晩積み重ねていき、「あんたがなにをどこでしているのかはお見通しなんだ」と、心で唱えながら母を睨みつけていた。我ながらおそろしい娘である。一方で、母がいつわたしを捨てて出て行ってしまうかをビクビクしていたようにも思う。
母はオンナでも、ありたかったのだろう。結局、母は、あの時わたしを捨てなかった。母とオンナを両立する器用さがなかったのか、形だけでも母を選択していた時期はあったんでないかなあと思うんだけど、これは想像に過ぎない。
いまになって思えば、立派な人だと思う。わたしのような万年反抗期のスパイの娘を大学まで出して、東京に出たわたしに仕送りして、最期は沢山のお金をわたしに残した。
今、わたしは、まもなく五十代突入。過去の母への行いは棚に上げさせていただいて、大いにオンナでありたい、と思う。
あの時母は三十代だったのか。再婚してもまだ子どもも産める年だったのか。反省とか、後悔とか、ないけど、わたしと母との相性があの時よかったら、母の再婚というのも、あったのだろうか。
数日後、わたしは、はたと気づいた。
「髪型変えたんだ」という娘の発言。電話での口調。
そういえば、誰かに似ていると思ったのだが、それは、わたしだ。
一年ほど前までわたしには電話でよく話していた男性がいて、その人は恋愛対象であったので、わたしは最大限オンナとして話していた。娘の前でも。
それを真似ているのではないか。
だけど、娘は、その男性がわたしにとって恋愛対象だとは知らなかったから、
電話で男の人とはこのように話すものだ。
と刷り込まれたのではなかろうか。
取り返しのつかない刷り込みをしていたのか。
考えすぎか。
日々悩みが尽きない。
この連載に書き下ろしエッセイを多数加えた書籍『母が嫌いだったわたしが母になった』が、2023年2月21日(火)に発売されます。現在、各ネット書店にて予約受付中!
青木さやか
1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティ番組でブレイク。2007年に結婚、2010年に出産。2012年に離婚。現在はバラエティ番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍中。
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