気象予報士・小林正寿、パニック障害に悩んだ過去を明かす「レストランなどお店で食事をしようとすると『吐いたらどうしよう』という強迫観念に駆られて」【「しゃもじがあれば箸はいらない」#5】
「ZIP!」(日本テレビ系)お天気コーナーに出演中の気象予報士・小林正寿。連載の第5回となる今回は、人生が変わるきっかけになったというパニック障害の苦しみ、その経験から学んだことを語る。
大学に入ってから体の異変を感じるように
――高校時代にグレて成績はビリだった…というお話をお聞きしましたが、現在の小林さんが寝る時間も惜しんで天気の予習復習に励んでいるのはなぜなんでしょう。
「パニック障害になったことが大きいです。この病気を経験して、人生観が大きく変わりました」
――パニック障害…。どんなことがあったんですか。
「大学に入ったころから体の異変を感じるようになって。僕の場合、特にひどかったのは、外食恐怖症、会食恐怖症といわれる症状です。レストランなどお店で食事をしようとすると『お腹を壊したらどうしよう』『吐いたらどうしよう』という強迫観念に駆られるようになりました」
――パニック障害になったのは、何か思い当たる原因などはあったのでしょうか?
「高校時代、勉強しなかったので第一志望の大学に落ちて、なんとか合格させていただいた大学に進学したのですが…イメージしていた大学生活と違ったものになったことで自分が情けなく、自己嫌悪になってしまって。大学生になると当時に実家を出て東京で1人暮らしを始めたので1人の時間も増え、自己嫌悪にどっぷり浸かってどんどんネガティブになっていってしまったんです。自分への自信を失い、将来への希望も感じられなくなってしまって…そうしたことが原因の一つだったのかなと思っています」
――18歳の初めての1人暮らしでその状態では、どんどん深みにはまりそうです。
「自分はもうダメだ」という思考や感情から抜け出すことができなくなってしまいました。両親は、『そんなことはない、これから頑張ればいい』と励ましてくれてはいたのですが」
――小林さんのパニック障害の症状は、どんなものだったのでしょうか。
「外食中や電車の中で、吐いて周りに迷惑をかける情景が浮かんでしまうんです。そういう経験をしたことがあるわけではないのに。それから、幻聴のようなものと言うか……その昔、テレビのドキュメンタリー番組で当時中日ドラゴンズの浅尾拓也投手が満塁のピンチを迎え、対戦相手だった広島東洋カープのチャンステーマが流れる場面を見たことがあったのですが、頭の中で、その時の浅尾選手の表情や姿がぐるぐるまわって、カープのチャンステーマが流れるんです」
――相手チームのチャンステーマに追いつめられる。
「はい、僕の“ピンチテーマ”になってしまって、しばらく広島戦が観られなくなりました。それから、症状がひどかった時は、電車に乗っているときに『息ができなくなるのではないか』という不安に駆られて、ドアの隙間にずっと張りついていたこともありましたね」
――どのくらいその症状が続いたんですか?
「大学に入学した18歳の頃から気象予報士になって2~3年目くらいまでですね」
――大学生の間ずっとというと、多くの人は友達と飲み会をしたり、旅行に行ったり遊んだりする時期ですね。
「そうですね。僕はその時期、外食ができなかったので、友達と会うときには、食事の時間になると『予定がある』と言って帰ったりしていましたね。人と飲み会でお酒が飲めるようになったのは27~28歳くらい。今では飲み会も大好きですけど(笑)」
――病院には行かなかったんですか?
「もともと病気だと思っていなかったんです。そういう症状が積み重なっていって、おかしいな、病気かもしれない、と思ったのですが。学生時代は親の扶養に入っているじゃないですか。それで保険証を使うと親にばれて心配をかけちゃうんじゃないかって」
気象予報士。1988年生まれ。2019年より日本テレビ系「ZIP!」にお天気キャスターとして出演中。天気予報のほか、バラエティ番組にも多数出演している。布団なし、カーテンなし、包丁なし、箸なし…という極端にモノのない生活や、ハンバーガーが主食という偏った食生活がバラエティ番組で取り上げられ、話題となる。中学生時代のあだ名は「デマ」(友達に教えた天気予報が外れたため)。いばらき大使、常陸大宮大使。水戸ホーリーホックオフィシャルウェザーサポーター。
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