「ZIP!」(日本テレビ系)お天気コーナーに出演中の気象予報士・小林正寿。連載最終回となる今回は、新人時代の失敗エピソードを振り返りながら、自身の将来を語った。
新人時代の失敗の数々
――「ZIP!」への出演ももう4年目ですが、気象予報士になりたてのころの失敗談などはありますか?
「ありますよ!初日から遅刻しました」
――えっ?初日から!
「現在所属しているウェザーマップという会社の初出勤の日が2013年1月15日だったんです。その前日14日から関東地方で大雪が降り、東京にも8cm積もって交通機関が乱れました。当時は茨城の実家からの通いだったので『雪が積もっているので遅れます』とウェザーマップに連絡したら『君がこれからしようとしている仕事はなんだ? 天気の仕事だろう。それくらいも予想できないのか! 前日に東京に泊まることだってできただろう!』とだいぶ怒られました」
――なるほど。気象予報士としては当然、天気を先読みして行動しなければいけないと。
「でも後々聞いたら、その日はどこの局も東京の天気予報はみんな大ハズレ。ウェザーマップの先輩方も雨と予報していたそうです」
――先輩方の予報もハズレでしたか。
「じつは気象予報士の初日は天気が荒れるというのが定番で。僕の場合は1月でしたが、4月から気象予報士になる人も多くて、その時期は冬と春の空気がせめぎ合って低気圧が発達して、横殴りの雨になったりと荒れ模様になることが多いんですよ」
――気象予報士の洗礼ですね。事務所にってすぐはどんな仕事をしていたんですか?
「最初の仕事は、週に1回、朝の番組でお天気お姉さんが読む原稿を書く仕事でした。日給が約1万円なので月に4~5万円。一人暮らしはできないので茨城の実家から通っていたんですが、その交通費もほとんど出ませんでしたね」
――それは厳しいですね。
「まぁ1年目の新人で仕事も少ないんですから、稼げないのは今考えれば当然なんですが、当時は、これは気象予報士で食べていくのは無理だなと思いましたね。オーディションよりもバイトの面接を優先するくらい、稼げていませんでした」
――気象予報士しながらバイト!
「ウェザーマップに入って何か月かして、現在の社長の森朗さんから『TBSの番組オーディションがあるから行かない?』と言われて」
――チャンスじゃないですか。
「でも、その日はバイトの面接があるので断ったんですよ」
――せっかく事務所に所属したのに!
「当時、テレビに出演するというのがピンとこなくて。気象予報士は、もっとおじさんになってからテレビに出られるものだと思っていたんです。誰もが知るウェザーマップの大先輩の森田正光さんのイメージが強くて」
――たしかにちょっと前まではテレビで若い男性の気象予報士の方ってあまり見かけなかったかも……。結局、オーディションには行かなかったんですか?
「結局、『やっぱり行こう』という森さんの説得もあり、しぶしぶ行ったら合格をいただいて、2013年4月からCSの『TBSニュースバード』に出ることになりました。ところが、当時のウェザーマップという会社には新人の研修メニューはなく、素人同然の僕は当然、毎回噛み噛みで、自信も持てず……その姿を見ているTBSの厳しい人には「できなかったらすぐに辞めさせるから』とずっと言われていました」
――気象予報士試験に受かったとはいえ、人前で話すのは初めてですもんね。
「そうなんです。だから、辞めてたまるかと、近所の公園で一人練習していました。番組を想定して『今日は広い範囲で晴れるでしょう』とか声を出しながら」
――天気予報の自主練!
「お笑いの練習をしている人だと思われて、投げ銭をもらったり、缶コーヒーを差し入れてもらったりしました(笑)」
気象予報士。1988年生まれ。2019年より日本テレビ系「ZIP!」にお天気キャスターとして出演中。天気予報のほか、バラエティ番組にも多数出演している。布団なし、カーテンなし、包丁なし、箸なし…という極端にモノのない生活や、ハンバーガーが主食という偏った食生活がバラエティ番組で取り上げられ、話題となる。中学生時代のあだ名は「デマ」(友達に教えた天気予報が外れたため)。いばらき大使、常陸大宮大使。水戸ホーリーホックオフィシャルウェザーサポーター。
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