週刊ザテレビジョン創刊35周年のメモリアルとして、本誌を彩ってきたテレビスターたちがテレビとの思い出を語るSPインタビュー企画を連載中。第11回目に登場するのは、クセのある役から、どこにでもいる普通の役までひょうひょうとこなす女優・戸田恵梨香。彼女が女優として“芝居”を意識し始めたきっかけや、10代そして20代とキャリアを重ねていくうちに培われた演技論などを、転機となった作品と共に振り返る。
役作りの大切さを知った20歳
そんな彼女が女優を目指すようになるきっかけは意外なことに、ドラマのNGシーンを放送するバラエティー番組だったそう。
「子供のころはテレビっ子ではなかったんですよ。寝るのも早かったので、見る番組といえばアニメくらい。中学校になってドラマを見るようになり、堤幸彦監督の『Stand Up!!』('03年TBS系)は夢中になりました。この作品は高校生の青春が描かれていたのですが、彼らがすごく楽しそうで…。“テレビは楽しいモノ”というイメージが強かったです。それを決定づけたのが、ドラマのNGシーンを扱うバラエティー番組“NG大賞”。失敗しても楽しそうに笑っている役者さんを見て引かれました。そのころの私は、学校に行って友達と遊ぶ、という日々の繰り返しで…。何か違う楽しいことをしてみたかった。演技をしたい!というわけではなく、楽しいことをしたい!という気持ちが大きかったです」
中学卒業後、本格的に芸能活動をスタートし、「ギャルサー」('06年日本テレビ系)などの作品に出演。コツコツとキャリアを重ねる中、注目を集めたのが、映画「デスノート」('06年)と初主演作の「ライアーゲーム シーズン1」('07年フジ系)。
「このころは、無我夢中で役にしがみついていました。役とは何かとか“主演だからどうする?”ということを考える余裕は全くなく、ただひたすらでした。特に『ライアーゲーム』は、私に主演なんてできない、とすごく怖がっていたのを覚えています。今考えても、監督はよく私にやらせてくれたなと思います(笑)。まぁ、あの初々しい感じが役と合っていたのかもしれませんが…。この時期は、そのときの持っている全てを出して、何も考えず全身でぶつかって芝居をしていました」
女優として、気持ちに変化が生まれたのが、20歳のときに出合った「コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命ー」('08年フジ系)。
「西浦正記監督と出会い、“役作り”というものを教わりました。当時の私は、セリフを覚えて、その意味を理解して具現化する、ということに苦労していて、役作りをするというレベルまでたどり着けていませんでした。現場で、監督とこのシーンをこう変えようか、なんて話していても、監督の言葉の本質を自分の中に落とし込むことができないことが多々あって…。分かっているけど、どうしてそう変えた方がいいのか、その“理由”のようなものまでたどり着けていなかった。そんな表面しか見ていない私に対し、西浦監督は『この役はこう考えているからこのような行動になるんだよ』と根気強く伝えてくれて。私が演じていた緋山はこういう人だ!と分かったときは目からうろこでした。役のバックボーンまでを考えて理解して演じるということが大事だと。この経験から、自分のやり方というものがうっすらですが見えるようになってきて、自分という役者を俯瞰することができるようになったと思います」
20歳にして“役作り”の大切さを知り、女優としての一歩を踏み出した戸田。この年、彼女が「とっても印象深い作品」というドラマ「流星の絆」('08年TBS系)にも出演を果たした。
「東野圭吾さんの原作を宮藤官九郎さんが脚本するという夢のタッグは、本当に楽しかったですね。原作を読んで現場に入ったんですが、あまりにもキャラクターが違い過ぎて、読まなきゃ良かったと思ったほど(笑)。もう、全然違う話なんですよ。コメディーとかシリアスとかそういう既定のジャンルにとらわれない不思議なドラマで…。時間がたってから見直したんですが、今見ても面白い。スゴイですよ。いつかまた、この2人の作品に出たいです」
演じることに一生懸命だった「ライアーゲーム」の翌年に「コード・ブルー」や「流星の絆」に出演。この1年の成長は、思っている以上に大きかったよう。
「私の中で『ライアーゲーム』はかなり前の印象です。自分の演技のアプローチもガラリと変わったというのもあるんだと思いますが、遠い過去っていうか…。体感と年表ってこんなに違うんですね。不思議。今、あらためて見てみると、20歳という年は、私にとってすごく大きな転機の年だったんだな、と感じます」