【テレビの開拓者たち / 坂本浩一】注目のアクション監督は“アクションとドラマの共存”が信条
ジャッキー・チェンに憧れてスタントマンの道へ。その後、映画監督を志してアメリカへ渡り、スーパー戦隊シリーズの米国版ローカライズ作品「パワーレンジャー」シリーズのスタッフとしてキャリアを積み、2009年公開の映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」の監督を務めたことを機に、日本でも活動するようになった坂本浩一氏。キレのあるアクションシーンを中心とした演出の手腕は、特撮ファンからも絶大な支持を集めている。そんな坂本監督に、アクションを演出する際のこだわりや、最終回間近の「ウルトラマンジード」(テレビ東京系)の見どころ、さらに、来年より始動する新ドラマ「木ドラ25『モブサイコ100』」(2018年1月18日[木]スタート、テレビ東京ほか)への意気込みを語ってもらった。
「パワーレンジャー」で学んだことは今でもすごく役立っています
──まずは、坂本さんが監督としてデビューするまでの経緯を教えてください。
「9歳のころにジャッキー・チェンの映画を見て、『ジャッキーみたいになりたい』と思ったのが一番最初のきっかけで。そして16歳のときに、香港でも活躍されていた倉田保昭さんのもとに弟子入りして、高校に通いながら約3年間、スタントマンとして活動しました」
――スタントマンのお仕事にとどまらず、監督を志すようになったきっかけは?
「やはり、それもジャッキー・チェンの影響です。ジャッキーは、映画に出演するだけでなく、監督も務めていましたよね。だから、いつかは僕も監督をやりたいなと。それで、監督になるための勉強をするならハリウッドしかないと思い立ち、高校卒業と同時に渡米したわけです。
アメリカでは、アクション監督のアシスタントや、スタントマンのコーディネーターといった立場で、いろんな作品に関わったんですが、そんな中、1993年に『パワーレンジャー』が始まって。日本の特撮ドラマのことが分かっている作り手ということで、知り合いを通じて紹介されて、1994年から15年間、シリーズに関わることになったんです。『パワーレンジャー』では、アクション監督だけでなく、ドラマ部分も含めた監督も務めるようになり、5年目くらいからは、プロデューサーも兼任するようになりました。ですから、『パワーレンジャー』では本当に多くのことを経験させてもらいましたし、そこで学んだことは今でもすごく役立っています」
──そして、映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」の監督に抜てきされ、日本でも活動することになります。
「円谷プロダクションの方で、ハリウッド映画のようにスペースオペラ調の、CGを多用した新たなウルトラマンを作りたい、という企画が立ち上がって。ハリウッド的なアクションの撮り方や、ウルトラマンというシリーズの世界観を理解している存在ということで、プロデューサーの方が声をかけてくれたんです。
ウルトラマンは本当に子供のころから大ファンで、近年のシリーズも、日本から取り寄せて見るくらい大好きだったんですよ。そんな中で、もし自分がウルトラマンを撮る機会があったら、アクションものにジャンル分けできるようなウルトラマンを撮りたいと思っていたんです。それで最初に円谷プロと『銀河伝説』の打ち合わせをしたときに、『坂本監督の得意とするところを存分に発揮してください』とおっしゃっていただいたので、思いっきりやらせていただきました(笑)」
――「思いっきりやった」というのは、具体的には、どういった点でしょうか?
「この作品は、地球ではなく宇宙が舞台で、ウルトラマンたちも異世界の巨人ではなく、作品世界の中では“普通の人”というような設定なんですね。だから、従来のウルトラマンにはない、スピーディーなアクションを採り入れました」
──特撮ファンの間では、「坂本監督が手掛けるようになってから、ウルトラシリーズのアクションが変わった」という声も多く聞かれます。
「アクションは一番こだわったところですし、みなさんがそこを認識してくださって、評価していただいているのだとすれば、とてもうれしいですね」