小室哲哉【引退会見全文2】音楽制作への葛藤と引退を決意するまで
不安に駆られる日々はさらに続きました。そんな中ですね、医療の知識を持ったA子さんという方が、片方では往診ということでなんとなくサポートをしてくれるような日々が続いてしまいまして、ついつい相談事とか頼るように、年末年始…2017年から2018年は特に、なってしまいました。
先ほど申しましたけど、そういった誤解を招く不徳の致すところという環境の中、年末に風のうわさなのかな、自分も正直何かは分からないですけど、何かこういった事態が起きるだろうという胸騒ぎはしていました。こんなことをしてまかり通るわけがないなという気持ちをずっと思っていました。
思っていたんですが自分の体調と、わかってもらいたいけどわかってもらえない、聞いてくれるんだけど、理解をしてもらっているのかなと思う妻。ピアノのフレーズをちょっと弾いても30秒も聴くのが持たないくらいの妻という環境の中で、依存が彼女のほうに強くなってしまいました。
そういったピーク、自分でも胸騒ぎというかここまでかなと思っていたタイミングでちょうど週刊文春さんが。僕からいったら「戒め」みたいなものなのかなと思っていますが。
もう一回2009年にさかのぼらせてもらいますが、僕は現在こんなすごい席に立たせてもらっていますが、2009年は裁判所にいました。裁判官から主文を聞いて執行猶予付きだというものの、有罪判決ということになって「頑張るんだよ」と叱咤激励をうけまして。その時の判決を聞いた時のような気分に、文春さんの取材を受けた時に、同じような気持ちを抱きました。