“こんちくしょう”という気持ちは忘れてはいけない
――また歌舞伎界のヒエラルキーも描かれていきますが、仲蔵の気持ちをどう感じましたか?
「やはり悔しかったと思います。今でこそ、実力のある人が上がっていく世界になっていますが、仲蔵さんが生きていた時代は違う。子供の頃から志賀山流の養子として芸事をしてきた人間が出られないというのは、そうとう悔しかったと思います。中村屋も今でこそ十八代続いていますが、最初は中村屋という名前すらなく、自分たちで付けちゃったそうです。ですから、下に見られていた時期もあり、父は特にこんちくしょうという気持ちを持っている人だったので、僕もその気持ちは忘れてはいけないなと思っています。現代でもそういうことがあるわけですから、当時はもっと大変だったと思いますね」
――その仲蔵は『仮名手本忠臣蔵』で大胆なアレンジをしました。勘九郎さんもそのようなことをすることはあるのでしょうか?
「昨年10月に(立川)志の輔師匠が(TBS赤坂)ACTシアターで「中村仲蔵」をかけていたので、『仮名手本忠臣蔵』でのアレンジについて仲蔵さんがどうしてそうしたかを聞いた時に、その通りだなと思いました。それで、翌12月に歌舞伎座で『傾城反魂香』をやらせていただいた時に虎を消すシーンで何かできないかなと思いまして。周囲の反対もありましたが、疑問に思っていたことはチャレンジしないと、と思ったのです。それを試せたのは仲蔵さんに触発されたところもあったからだと思います」
――改めて、今、仲蔵の生き方を伝えていく意味は何だと思いますか?
「『負けてたまるかこんちきちょう』という気持ちは、みんな、コロナに対して持っていると思います。こんなものに負けてたまるかというハングリー精神と、こんちくちょうという気持ち。仲蔵さんは一番下でいじめられたこともあったけれど、最終的には同じような気持ちを持って上り詰めていくので、負けてたまるか精神というのが伝わったらいいなと思います」
取材・文=及川静