「間違ったことを言えない」という怯えが皆すごくある
――『遠野物語』については、今の時代に置き換えると、ネットのまとめサイトみたいだとおっしゃっていましたね。
『遠野物語』が書かれたのは100年以上前ですが、印刷というものができて、雑誌の流通が始まって一般的になって「え? これ先週東京で起こったことなの?」と皆驚いたわけですよね。自分の村で起こった事件もすぐ全国に知れわたっていく。スピードの差はあれど、情報が曖昧だったり間違いがあったりするところも含めて、ネットやSNSだと思うとしっくりくる。ネットのあまりの新しさに、誰もが初めてそれを体験したように思っていますけど、すでに似たようなことは100年前にも起こってるんですね。
――ネットの話が出ましたが、言論空間としてのSNSをどうご覧になっていますか?
まあ、話半分で聞く習慣をつけたいですよね。っていうか、僕の言うことすべて話半分で聞いてほしいですよね(笑)。「あいつはちょいちょい間違ったことを言う」という前提でお願いしたいです。だいたい、少しでも間違ったことを言うと炎上っておかしいし、間違ったことを言ってなくても、聞くときにちょっと曲がって、書き込むときにまた変化して、それを鵜呑みにされてもね…まあ、それはネットを見る側としても心がけたいかなと。
とにかく、芸能人はもとより一般の人まで、間違ったことを言って糾弾されることにひどく怯えながらしゃべる世の中になってるなあ、嫌だなあと思いますね。
――伊集院さんって、話の内容や切り口を、時間帯や媒体などによってかなり切り替えていますよね?
そうですかね。たしかに、深夜放送のラジオでしゃべる口調、ワードの選び方っていうものは、「100分」でのそれとはまったく違いますね。けれど誰だって友達と話すときと、親戚のおじさんと話すときは、口調も言葉も全然違うじゃないですか。それと同じですよ。
テレビのほうがラジオよりもおとなしいとか言われますけど、確かにエログロナンセンスな話題は深夜ラジオのほうがより踏み込んでいます。でも、内容的に尖ったことを言っているのは、実は「100分」のほうってことも多々ありますよ。ドキドキしながら喋ってます。