山田洋次監督の映画「男はつらいよ」。1969年に第1作が公開されてから全50作が制作された同シリーズでは、渥美清演じる主人公の“寅さん”こと車寅次郎の儚い恋模様を中心に、古き良き日本の下町人情が描かれている。CS放送の衛星劇場では9月から10月にかけて「男はつらいよ」シリーズを多数放送予定。そんな、今なお多くの人々に愛され続ける国民的大ヒット作「男はつらいよ」の魅力はどこにあるのか、今一度振り返ってみよう。
不遇の役者・渥美清が大スターに
同シリーズを語る前に、外しておけないのが渥美清という役者の境遇だ。今でこそ昭和の名優として知られるビッグネームだが、そのキャリアは決して華々しいものではなかった。
1928年に東京の下町に生まれた渥美は、中学校を卒業後、職を転々とし、1951年に浅草六区のストリップ劇場の専属コメディアンに。1956年にテレビドラマ、1958年に映画デビューを果たし、「夢であいましょう」「大番」「拝啓皇陛下様」などのヒット作に出演した。
はたからは順調歩んでいたように見えたかもしれないが、渥美の素顔は劇中の自由奔放な風来坊の寅さん像とは大きくかけ離れていたという。彼は役者業への実直でストイックな姿勢から、自身の仕事に悩んでいたそうだ。
そんなある日、渥美が辿り着いたのが、学問や芸能に関するご利益があるとされている入谷小野照崎神社。「タバコを一生吸いませんから仕事をください」と願掛けをした数日後に、本当に寅さん役のオファーが舞い込んだという逸話があるから驚きだ。
古き良き日本像を映し出した下町ラブコメディー
「男はつらいよ」シリーズは、1968年から約半年にわたってフジテレビで放送されたテレビドラマ版に始まり、1969年に松竹が映画を製作。映画版はヒットし、1人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズとして「ギネスブック」国際版に認定された。
同シリーズが長きにわたって多くの人々に支持される最大の理由は、“究極のマンネリズム”と“誰も置き去りにしない人情”だ。物売りをしながら全国各地を巡る“根なし草”の寅さんが、柴又の実家にふらりと帰省してはさまざまな人々が抱える悩みにお節介を焼き、毎回登場する麗しのマドンナに失恋し、再びあてのない旅に出る…というのがストーリーの軸となる。
寅さんは、金にだらしなく、計画性がなく、他者へのプライバシーお構いなしで首を突っ込む、傍迷惑なおじさんかもしれない。しかし登場人物たちはそんな寅さんに振り回されながらも、誰一人見捨てようとせず、むしろ率先して助けようとする。同時に寅さんもあらゆる人々を見離さず、最後の最後までお人好しを貫く。
自分ではなく、まず他人から。人への優しさが合わせ鏡のように反射しあって連続し、延々と受け継がれていく。そんな古き良き日本のあたたかさがつまっているのが「男はつらいよ」だ。その魅力は国内だけでなく海外へも波及しており、50年以上活動しているポップスターSPARKSも同シリーズのファンであることを公言している。