<いだてん>金栗四三篇完走へ!演出陣がスタート地点から振り返る
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか) が、6月23日(日)放送の第24回で第1部のフィナーレを迎える。
日本初のオリンピアン・金栗四三(中村勘九郎)を主人公に、日本スポーツの黎明期を描いてきた本作。第2部では、主人公が新聞記者の田畑政治(阿部サダヲ)に交代し、1964年の東京オリンピックに向けて物語が展開していく。
今回「ザテレビジョン」では、本作の演出を務める井上剛、一木正恵、西村武五郎に鼎談インタビューを敢行。
前後編で送る前編では、日本初参加となった1912年のストックホルムオリンピック、1920年のアントワープオリピック、箱根駅伝の初開催、女子スポーツの発展、関東大震災などが描かれた第1部。全体を振り返りながら、本作への思いや第1部を走り抜けた主人公四三について、3人に語ってもらった。
今までに使ったことがあるフォーマットがゼロだった
――今作は近現代史を描くということで、映像化が難しかったのではないかと思うのですが、最初に苦労したのはどんなところでしたか?
西村:舞台が明治大正の「東京」ということで、今までの大河ドラマで使ってきたロケ地とかセットとかが使えないので、一番最初は1カットも撮れないんじゃないかっていうところからスタートしました。
井上:近現代を描く作品なので、今までに使ったことがあるフォーマットがゼロだったんです。だから、それを作るところから始まりましたね。
ロケ場所も全然ないので、通常の大河ドラマにはいない「土木部」というチームを作って、土木関係の人が道をならしたり、砂を引いたりしてもらうこともありました。
一木:グラウンドを作るためにね。
西村:アスファルトの道しかないので、マラソンコースなどの撮影をロケでするために砂をまいて、昔の道に見せないといけないといけなかったんですよね。
井上:そうそう。どこを探しても走る道がなかったんです。例えば合戦のシーンだったら、今までの大河ドラマのいろんな“イロハ”が使えるけど、今回の見せ場はスポーツ。だからこそ頑張って撮らなきゃいけないですし、いろんな形でテスト撮影を行って、「どうやったらいろんな場所に見せられるか」と考えていきました。
――どうやってロケ場所を探していったんですか?
西村:ストックホルムでも東京でもそうですけど、撮影チームでとにかく歩き回りました。
劇中で孝蔵くんが走りながら落語の世界を知っていったように、四三さんが東京中を走って練習したように、みんなで本当に歩いて探していきました。
ロケハンの時には、いつも万歩計が2万5千歩くらいにはなってて、それがこのチームの特色だと思います。
井上:歩き回ったことで、「ここから海が見えたかもしれない」とか、「富士山が近かっただろう」とか、いろいろと見えてきました。
一木:このドラマでは、例えばマラソンのシーンだとゴールの部分だけとか、一部分だけを切り取って撮影するのではなく、その前後も含めてなるべく息の長いカットで撮っていくというのが方針としてあるんです。だから、そういう撮影ができる道を探すために、みんなで歩きました。
長いカットを取れるロケ場所のおかげで、シーンとシーンに流れるような連続性が生まれて、そこがドラマの持ち味になっているんじゃないでしょうか。マラソンを表現する上では、特にそういう場所を探すことが大事だったのかなと思います。
――では、第1回、第5回で登場して、一番最初の見せ場になった「羽田でのオリンピック予選会」シーンも大変だったんですね。
3人:あれは大変だった!
一木:あのシーンは、神宮外苑競技場や、国立競技場のグラウンドを作った老舗(しにせ)の会社が手がけてくれたんです。
井上:場所を探すのも大変でした。羽田って昔は海沿いだったので、そのロケーションを作りたかったんです。その会社には、どうやったら砂浜を固められるかなど、相談しながら作ってもらいました。
一木:当時の羽田は、海水浴場と一体になったレジャースポットとして開発されていたんです。その様子が写真にも残されているので、それを再現するために、最初は海辺のグラウンドを探したんですけど、ないんですよね。
井上:テトラポットがあったり、公園になってたり…。
西村:写真だけじゃなくて、その当時のグラウンドの図面も残っているので、だからこそ大変でした。資料は探せば探すほど出てくるので、再現するにはどんどん大変になっていくんです。
井上:自分たちの首を締めていくっていう(笑)。