滝川英治のSNS
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誕生日を迎えました。
リハビリ入院で中々更新ができなかったけど…さすがに自分の誕生日は覚えてましたね。笑いつも皆様の激励のおかげで、いかなる…
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絵の個展を終えてしばらく経ちましたが…改めて
口で絵を描き始めて約5年。絵を描くことは自分の生きがいの一つで、自分の頭の中で「想像×創造」を繰り返し、没頭することで…
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新年の挨拶
新年明けましておめでとうございます!!!(って、かなり遅くなってしまったー!)年が明けて早いものでひと月が経っちゃいま…
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2023年もありがとう。
本年も有り難うございました。今、病室でこのブログを書いています。今年の4月から入院を続けて年越しは病室となりますが、物…
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横浜ラポール
滝川英治イラスト展『口火 〜「KUCHI-BI」〜』[日時・会場]■2023年12月16日(土)~12月24日(日)横…
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個展『口火』
この度は、コツコツと描きあげてきました僕の絵の個展が開催されることとなりました!とても光栄なことです。入場は無料となり…
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襟を正せる日
2017年9月に事故に遭い、僕は全身に麻痺が残りました。「大丈夫、大丈夫!」と笑顔で周りと自分を鼓舞し続けました。それ…
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最後の夢
2017年9月15日に事故で脊髄を損傷し車いす生活となり、本日で丸6年が経ちました。正直、あっという間に6年が過ぎたな…
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テニミュ20周年おめでとう
僕の芸能活動の原点は、テニミュと言っても過言ではありません。テニスの王子様という作品ももちろん、ミュージカル『テニスの…
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履正社野球
夏の全国高校野球選手権が熱く盛り上がっている中、我が母校、履正社高校は仙台育英高校に……負けてしまいました、💦でも本当…
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発信
みんな!調子はどう??僕は障害があって、様々なことを言われます。ただ、障害があるから様々な声を耳にするのではなく、障害…
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○出演情報○
改めてテニミュ20周年おめでとうございます。ということで、こちら映像出演致します。宜しくお願い致します!「テニミュ」2…
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みんな!調子はどう?
死を覚悟したあの日…奇跡的に助かった命、たくさんの方々が護ってくれた命生きていて辛いこと苦しいことが大半を占める辛いこ…
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伝える勇志が戦力に成る
日本の障害者はおよそ1000万人と言われています。知的、精神、身体障害など、国民の8%が何らかの障害があるということに…
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愛し
パールが亡くなって4年が経ちました。1週間程前に2日続けてパールが夢に出てきました。それがあまり可笑しな夢で、???笑…
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リハビリ入院で中々更新ができなかったけど…
さすがに自分の誕生日は覚えてましたね。笑
いつも皆様の激励のおかげで、いかなる時も前を向いて目標に向かって、突き進めています。
本当に毎年毎年、年齢のせいか一年が早くなったなと感じます。
だからこそ一日一日を大切に過ごしていかないといけないですね。
人生はチャレンジ続きです。歓喜する時、挫折する時、目紛しく変わっていきます。
それでも、
誇りを持って高い壁に向かって挑むことが、人として「生きる」醍醐味だと思います。
笑いあり涙あり、上等だ。
これから先も、僕は一つの決断をしました。
自身がこれから先「生きていく」為にそれが必要だと感じたから。
多くの方に伝えられる「何か」があると感じたから。
またまた新しいチャレンジの年になります。
どんな景色が見られるのか、楽しみ七分不安三分。
とにかく、
成長した姿をまたお見せできるように精進していきますので
今後とも宜しくお願い致します。
滝川英治
未来へ17アクション | SDGs | NHK
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口で絵を描き始めて約5年。
絵を描くことは自分の生きがいの一つで、自分の頭の中で「想像×創造」を繰り返し、没頭することで自身が救われてきました。
この度このような個展という形で多くの方々に観て頂けることは大変光栄な事でした。
今回の主催の方々、いつも支えてくれた家族や事務所関係者、ファンの皆様に感謝しかありません。
今年2024年は、パリオリンピック、パラリンピックが開催されますが、
僕なりに盛り上げていきたくて、絵にはパラスポーツの全22種目の絵を描きました。
それを障害者スポーツ文化センターにも展示されたということで多くの方にも観て頂けました。
絵に込めた思いは…
まず根底に、絵も絵本もお芝居も、すべての芸術的エンターテイメントは「想像と創造において自由で多様性の象徴になるべきもの」だと思っています。そんな中で僕は、人が「生きる」ということを考え続けています。「生きるのは存在することではなく創造すること」だと思います。
それは、常に何か新しいこと、何ができるのかを追い求める姿勢。
『想像』と『創造』のサイクルを繰り返すことで、人は『生きる』ことを実感できると思っています。
それがスムーズにできる社会が僕の理想で、僕が考えるインクルーシブな社会は、個人の創造の可能性に対して、適切なエネルギーが供給される社会。
特にその力が豊かな未来ある子ども達は歳をとって大人になっていくにつれて、見える色や感じる味が変わってきます。
僕たち“障害者”という、概念の枠にはまらない存在から、何を感じるかなんて、それはさまざまで、ピュアでユーモアがあって、ときに残酷で、ただそれが真実なんだと思います。
絵は動きません。歳をとりません。
だからこそ、人は自分の頭の中で絵を動かし、豊かな『想像力』が育まれると思います。
だから観覧者の感性が変わるほどに見え方も何通りにも変わります。
「現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」そんな「想像」は、「創造」の出発点です。今まさに時代の変化のスピードが加速し、色んなものが進化開発され、「想像」と「創造」の距離が縮まり、未来を創る速度が急激に変化しています。
自分自らが未来創造に参加できる社会。だからこその「想像×創造」さえあります。
未来には正解も不正解もありません。自分達の生きる新しい未来は、自身の手で新しく創造することだってできるんです。
だから、こうなんだと伝えたり、教えることよりも、まず大切なのは自分自身が感じることであり、そして多角的に考えてほしいと思っています。
僕の絵にかけてきた5年間の想いは、誰にも負けるつもりはないですし、この夢に向かって突っ走ってきた5年間は奇跡で僕の誇りです。
何度も跳ね返され、一時は駄目かもしれないと下を向きそうになったこともありました。でも諦めませんでした。
人は何度躓いても何度でも這い上がれるんだということを、今様々な障壁にぶち当たり闘っている方々へ、また今の僕自身にも身を持って証明したかったんです。
だから、この作品展は僕の「魂」と「誇り」で、まさに僕自身でした。
絵の中身に関して言わせて頂くと、
まず、僕の絵のテイストがキュートなのは、僕の内面の可愛らしさが出ているのかもしれません笑。
(ある俳優仲間に、外見はごっついライオンだけど、中身は繊細なウサギだよね。と言われてました。)
そして、僕の絵には一つの象徴として『りんご』が所々に描かれています。
りんごというモノへの概念も自由ではありますが、
りんごは、アダムとイブが食べた禁断の木の実がリンゴと考えられているように、
古くから知恵・不死・美・愛などのシンボルとして知られており、神話や伝説にその反映が見られます。
りんごは僕が出版した『ボッチャの大きなりんごの木』の主人公ボッチャの好物で、ボッチャに生きる希望を与えてくれたモノです。
そんな「りんご」を描くようになったきっかけは、亡くなった父親が、生前大阪から突然見舞いに来てくれた時、病室に「りんご」を持ってきてくれたんです。多くを語らない父ですが、そのちょっとした気遣いが嬉しかったんです。父が帰った後、テーブルに置かれたりんごを見て一人涙を流しました。ただその反面、その父の想いが足枷と感じてしまうこともありました。重圧になってしまったり何も返せない自分が苦しくもどかしくもなり、自分を責め続け、前へ進めなくなることもありました。
僕が退院後に一人暮らしをしたいと意思表示をした時、母親は「大阪の実家に帰ってきなさい。」と、仕事再開時も「体に負担がかかるでしょ。やめておきなさい。」と、いつも生き急ぐ僕の背中を優しく引き止めてくれました。対して父は「そうか。そのかわり二度と大阪に帰ってくるな。」「英治の人生だからやりたいようにやれ。お前はここで腐る人間じゃない。」と叱咤激励をして、いつも生き急ぐ僕の背中を強く押してくれました。僕の″体″を心配してくれた母と、僕の″心″を心配してくれた父。
僕にとっての真っ赤なりんごは、情熱的な父と冷静な母の、両極端な『愛』なのかもしれません。
ただ、その愛すらも己次第では、活かすも殺すも、プラスにもマイナスにもなり得るものだと感じます。
人生は大なり小なり思うようにならない事ばかりです。ただ多くの困難があるからこそ、それを乗り越えようと人は努力するし、人は変われます。その壁を乗り越えた時、自分が気づかないうちに成長してるはずです。そこに希望があるから人は強く前へ踏み込めます。
僕はそんな困難(足枷)こそも、自分に課された試練であり、自分をより高め、新しい新境地へと目醒めさせてくれる『愛』なんだと思っています。
そして確か、初めて口にペンを咥えて描いた絵が「りんご」の絵でした。
因みに、これは後から思い出したことですが、
僕が事故に遭った時にドラマで演じていた役柄の″福富寿一″の好物が「りんご」という設定だったんですが…
それも何かの運命を感じました。
個展のタイトル『口火』に込めた想いは、
口火とは爆薬を大爆発させるためにつける為の小さな火。転じて、物事の起こるきっかけ・原因のことです。
つまりダイナマイトほどの大爆発させるための小さなマッチの火。
僕が動くことは小さな小さな一歩かもしれないけれど、大きな一歩へと繋げていきたい。
それは誰しもに潜在してる未知なる力、人の可能性は無限にあります。それを活かすも殺すも自分次第。信念と勇気が必ず自分と周りを救ってくれます。
障害という壁にぶち当たっても僕たち自身も戦力になれるんだと、古い習慣により柔軟性に乏しく凝り固まった価値観をもつ世の中や物事などに、力を合わせて新鮮な風(新たな価値観)を吹き込みましょうというメッセージを込めました。
さらに僕は事故で手が使えなくなりました。手が使えないなら足を使えばいい。足が使えないなら口を使えばいい。口が使えないなら鼻を使えばいい。鼻が使えないなら何が使えるかその都度考えればいい。人間の可能性は無限にあるはずです。それを活かすも殺すも自分次第。
僕はたまたま口が使えます。その口から生まれた僕の小さな希望の火が少しでも世の中を明るく照らせることができたらと願っています。
僕は確かに失ったものはとてつもなく大きいです。けれどまだまだ使えるもの、できることはたくさん残されています。
残されたものを最大限に活かし、自分自身の未来を信じてあげることが僕の使命だと感じています。
健常者、障害者関係なく、自己研磨、自己表現がもっともっとできる世の中へ…
多様性への理解を切望しています。
では
またいつか皆様に笑顔でお会いできる日を心から楽しみにしています!
滝川英治
※由紀さおりさんに個展を紹介して頂きました。
有り難うございました!
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新年明けましておめでとうございます!!!
(って、かなり遅くなってしまったー!)
年が明けて早いものでひと月が経っちゃいますね💦
僕は、新年の幕開けは病院で迎えたこともあってか、
世間のスピード感についていけてなく、時が止まっているように感じます。
まだもう少し入院生活は続きますが、明確な目的とビジョンがありますので、
365日というより、今の一分一秒を大切に無駄にしないよう過ごしています。
昨年から始まった未知なる挑戦は、今年もこの先も続いていくと思います。
思うように行かなかったり、緊張の糸が切れそうになる時もあると思いますが、
しっかりと深呼吸をして詰め込み過ぎず、視野を広げ、緊張と緩和を意識した一年にしたいと思います。
世の中では、元旦から能登半島震災があり、今も寒さに耐え避難所生活の方もいらっしゃると思います。
少しずつでも焦らず復興に向かっていくことを願っています。
本年も皆々様、何卒宜しくお願い致します。
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本年も有り難うございました。
今、病室でこのブログを書いています。
今年の4月から入院を続けて年越しは病室となりますが、
物凄く前向きな気持ちで入院しているし、リハビリに専念しながら、
世の中に「絵」というカタチで僕の伝えたいことも発信できたので満足しています。
「挑戦」の年と課してきた今年一年は勇気と覚悟を持って挑んできました。
様々な困難もありました。新しい発見や嬉しい変化、思うように行かないこともありました。
でもそれら全てが「生きてる」って実感をすることができました。
それも家族、事務所関係者、病院関係者、仲間たちの支えあってこそ、今に至ります。
病院には様々な方がいます。
リハビリ入院、褥瘡の治療、義足作り…その中で廊下を何周も車いすで周回する方、歩行練習する方、知り合った人達とデイルームで夜遅くまで団欒してる人…めちゃくちゃ話しかけてくる人もいます笑。
人それぞれ自分の時間の使い方で、自分らしく一日を構成しています。
僕は今回の入院では明確な目的を持ってここに乗り込んで来てるし、それくらいのでっかい夢があります。
とんでもなくデカい壁に挑んでいます。何かを犠牲にしてでも成し遂げたいモノです。
だからこそ自分時間と自分の体を大切に、環境に流されることなく、慎重に人との距離感をうまく保ちながら、自分の体に向き合うことに集中してきました。病院だからできること病院でしかできないことがあります。
あっという間の一日24時間の中で、1分1秒をどう過ごしていくかプログラムしており、それを出来る限り壊したくない。
戦場。まさに自分との闘い。
一瞬たりとも気を抜きたくないんです。
ただまぁ…今、一日の中で気を休められる息抜きの時間は、こうしてSNSを確認することと、寝る直前に30分だけ観る「ワンピース」笑。
この入院を期に第一話から見始めました。
心のリハビリと体のリハビリをうまく使いこなし充実しています。
人は人。僕は僕。
感謝の念を忘れてはいけないこと…
ただ感謝と言う思いや言葉に囚われすぎて、自分のアイデンティティを失わないように自分らしく生きていけなければならないと思っています。
ありがとう、すいません。って、どうしても知らず知らずのうちに自分の行動にリミットをかけてしまう。それではとても生きにくくなる。
確かに僕のように障害があると、周りは大変だし、心配もかけてしまう。でも僕たちも皆さんと同じように喜んで怒って哀しんで苦しんでいきたい。
同じように人生を謳歌していけるはずです。
夢への扉を信念でこじ開けることができたこの一年。
一緒に支えてくださった方々に本当に感謝しかありません。
SNSで応援してくれている方々からも力をもらっています。
本当に有り難うございます。
周りが何と言おうとも、自分で自分の限界は決めない。
自分が信じてあげなくて誰が信じてくれるんだ。
皆様も、この一年様々なことがあったことと思います。
それでも何とかこの年の瀬を迎えられたことに、自分を労ってあげてください。
本当にお疲れ様でした。
来年が皆様にとって、さらに良い年になりますように。
滝川英治
未来へ17アクション | SDGs | NHK
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滝川英治
イラスト展『口火 〜「KUCHI-BI」〜』
[日時・会場]
■2023年12月16日(土)~12月24日(日)横浜ラポール
いよいよ明日から横浜ラポールにて開催です!
お時間ある方は是非ご観覧ください。
この度は、コツコツと描きあげてきました僕の絵の個展が開催されることとなりました!
とても光栄なことです。
入場は無料となりますので、少しでも多くの方に観て頂きたいです!
滝川英治
イラスト展『口火 〜「KUCHI-BI」〜』
[日時・会場]
■2023年11月21日(火)~11月29日(水)@ウイング上大岡 3階「連絡通路」
■2023年12月16日(土)~12月24日(日)@障害者スポーツ文化センター横浜ラポール
■2024年1月13日(土)~1月21日(日)@港北TOKYU S.C. A館4階「インク前共用スペース」
※入場無料
※展示は各会場の営業時間内となります。
〔 展示会に関するお問い合わせ先 〕
障害者スポーツ文化センターラポール上大岡 管理運営課 文化担当
〒233-0002 横浜市港南区上大岡西1-6-1 ゆめおおおかオフィスタワー7階
電話045-840-2151
タイトルの『口火』とは、爆薬を大爆発させるためにつける小さな火。
物事の起こるきっかけ・原因という意味です。
障害という壁にぶち当たっても社会の戦力になれるんだ、小さな一歩を大きな一歩に変えていきたい。
古い習慣により柔軟性に乏しく凝り固まった価値観をもつ世の中や物事などに、
口火を切って新鮮な風を吹き込もうというメッセージを込めました。
さらに僕は事故で手が使えなくなりました。
手が使えないなら足を使えばいい。足が使えないなら鼻を使えばいい。鼻が使えないなら口を使えばいい。
口が使えないなら何で補えるかその都度考えればいい。
人間の可能性は無限にあるはずです。それを活かすも殺すも自分次第。信念と勇気が必ず自分とその周りを救ってくれます。
僕はラッキーなことに口が使えます。
その『口』から生まれた僕の小さな希望の『火』が、少しでも世の中を明るく照らせることができたらと願っています!
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2017年9月に事故に遭い、僕は全身に麻痺が残りました。
「大丈夫、大丈夫!」と笑顔で周りと自分を鼓舞し続けました。
それでも一人になると絶望と不安に襲われる日々が続きました。
間もなくしてリハビリが始まり、最初は、福祉用具や自助装具を使った生活も自分の中ではなかなか受け入れられませんでした。
姉や母は「なんでやらないの?やりなさい!みんなやってるよ!」と背中を押してくる。確かにそんな気持ちもわかる。
事故に遭いまだ2週間程、確かに「大丈夫、大丈夫!笑おう!」って明るく振る舞ってはいました。でも変わり果てた現実を心底受け入れるなんてそう容易なことじゃなかったし、今まで普通に右手を使って、箸でご飯食べてた人間が、左腕に機械(ポータブルバランサー)をつけて左手に装具をつけてスプーンとフォークが一緒になったよくわからない道具で食べろって言われても、心の中で「ロボットかよ!」って。トライしてみても、ご飯をボロボロ下に落とすし、口の周りは汚れるし、ケチャップがTシャツに飛び散るし、体幹が崩れて食べ物が入った皿に顔面ダイブするし、犬みたいに皿に口をつけて食べるしかなくなるし…。悔しい。虚しい。悲しい。現実を突きつけられました。
家族には、「やるよ。わかってるよ。」とだけ伝えました。ただ「もう少し待ってくれ。もう少しちゃんと今の自分と向き合わせてくれ。まだメンタルが追いついてないんだよ!」って心の中では。
本当の自分はそんなに強くはない。本当の自分を一番近くに見ている家族にだけはわかってほしかったんだと思います。
ただ父だけはいつも悟ってくれました。今思えば、僕の立場になって感じ、考えてくれていたように思います。
ずっと医療関係の仕事をしていた父は、医師から「脊髄損傷」と告げられて、ほぼ察したことだろう。父は、「一番辛いのは英治だから。こちらのことやパールのことは気にするな。英治のタイミングでその時が来たら動き出せばいい。今はとにかく何も気にせずストレスを溜めるな。わしはお前がここで腐るような男だとは思ってないから。」とだけ。いつも口数が多い方ではなく、態度や行動で示してくれる人でした。
父は脊髄損傷の会に自ら入会し、たくさんの資料や情報を送ってくれました。
突然大阪から病院に見舞いに来ては、ソファーに座ったまま黙り込んでいる。「父さん寝てんの?てか、何しに来たの?大阪から大変だっだでしょう?」ってこっちが心配になるくらい。父は「英治に心配されてるようじゃ、わしはおしまいや。英治はとにかく自分のことだけ考えてたらいいんや。」って70過ぎの父はいつも言っていました。
2018年退院後、僕が一人暮らしを始めて間もなくして父は亡くなりましたが、今でも父とはよく会話します。
今入院中の病室にも父と一緒に最後に撮った写真と、パールの写真を置いています。パールは亡くなってから何度も夢に出てくるんですが、父は一度も夢に出てきたことはありません。
今、実は滝川家縁の場所にある病院に入院していることもあり、父は父のいとこにあたる方に、「息子がもしそちらに行った時は宜しく頼むな。」と、連絡していたそうです。僕はお会いしたことはなかった方でしたが、父と同い年の80歳のおば様が見舞いに来ては差し入れ(郷土料理や菓子)を山のように置いていってくれます。15分と決められた面会時間で、父の話をたくさん聞きました。父が亡くなった当日もLINEのやりとりをしていたそうで、父がおばさんに最後に送ったLINEも「英治を宜しく頼むな。」だったと。おば様が返信したLINEは既読にはなったが、それっきり父からの返信はなかったといいます。
そして、つい先日のことですが、父が亡くなってから初めて父が夢に出てきたんです。父が運転する車の助手席に母が乗っていて、僕が後部座席に乗っていました。父の運転は生前通りで、相変わらず荒々しく、居眠り運転するわとまぁ大変で、母が見かねて途中から変わって運転をすることに…。夢の内容は意味不明だったけど、気持ちだけ先に突っ走って空回りしてしまう情熱的な父らしいなというか。そしてそれをいつも冷静な母が尻拭いするという、父と母の生き方そのものだった気がします。
今回の入院で、事故後初めて飛行機にも乗りました。その辺もまたいつかお話できる機会があればと思いますが、母と姉が同行してくれました。母も高齢ですし、姉もまだ小学生と中学生の子供がいる多忙の中、付き添ってくれました。
僕が、大切な人たちの人生までをも大きく変えてしまった。
だからこそ僕が誰よりも前を向かなければならない。
僕の入院生活はまだまだ続きますが、目的意識を明確に持って、自分にだけは負けずに、自分のペースで焦らずに過ごしていきます。
今日で父が亡くなって6年が経ちます。
今日もどこかで父が見守っていてくれてる気がします。
いつもこの日になると、改めて襟を正して日々を精進しようと決意ができる日です。
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周りからは「頑張ってますね」とか、「すごいですね」とか、言われます。
気持ちは嬉しい。でもそんな言葉はいらない。そこで少しでも満足してしまう、しょうもない弱い自分が垣間見えてしまうんです。
まだまだ頑張りは足りない。もっともっとできたはずだし、もっともっとできるはずなんです。
頑張るのは当たり前なんです。僕はここに遊びに来てるわけでも、友達作りに来てるわけでもなく、
今いる場所に闘いに来てるんです。
命をかけて今この一瞬一瞬を生きてるんです。
僕の為にも闘ってくださっている方々がいます。だから僕も背負わなければならない。
正直、このブログを書いてる今この時でも自分の神経の一本にでもいいから1時間2時間をかけてでも呼びかけたい。それくらい一日の1時間1分1秒を自分の身体にかけたい。
今までの人生の中で、どこかで手を抜いていた自分がいました。もっと努力できただろうことがありました。自分が生きてきた38年間の生き方には一度も満足したことはありませんでした。ただ事故に遭ってからのこの6年間の生き方に恥じるものはありません。
だからこそ、今回のこのチャンスはたまたま訪れたのではなく、
僕自身が信じて、周りに笑われようとも一度も諦めなかったことで自らの手で手繰り寄せることができたと自負しています。
ここまで来るのに奇跡的な事が数多くありました。ドラマのような奇跡的なご縁がありました。奇跡の連続です。
事故当初、医師から「今までのようなアレは天文学的数字の確率だ。」と言われました。隣で聞いていた姉はため息をついていました。でも僕は「よし!」と気合いが入ったことを覚えています。可能性が0じゃないんだ。例え可能性が0.000000001%でもあるのであれば「よし!やってやるよ!俺が人知を超えたとんでもない奇跡を起こしてやるよ!」と。まぁ、元々、超がつくほどの大馬鹿野郎だから、笑われても関係ないでしょ。
今まで6年間で一度たりともアレを諦めたことはないし、誰が何と言おうとアレを諦めるつもりもない。
最高で最後のノンフィクションエンターテイメントを起こそうと思っています。
僕がICUにいる時に描いた最後の夢、、、
『歩く』
自分の足で、ただ『歩く』ということ。
もちろん歩けたから幸せ。歩けなかったら不幸。そういうことでもありません。
寝たきりだろうが、車いす生活だろうが、幸せを掴み取ることはできる。今だって僕はめちゃくちゃ幸せです。
でもそれはこの6年間いっぱいいっぱいいっぱい夢を抱いてきたから。夢があったり希望があったりしたから幸せを感じることができました。それは何でもいいんだ。明日は美味しいビーフカレーを食べようとか、面白いミュージカルを観ようとか、、昨日の算数のテストの点数を10点上げようとか、好きな子に告白しようとか、サッカーの大会で優勝するとか…
別に、それらの夢を達成できたとしてもできなかったとしても、それに向かって全力で勇往邁進できたならば、確かに失うものもあるかもしれないが必ず何かを得られてるはず…。得られた何かから、また何かを得られるし何かを創造できる。
僕は、例え70歳になっても80歳になっても言い続けてると思う。
言霊じゃないが言い続けること、信じ続けることは大切。それが自分の発奮材料にもなるしね。
最後に、この6年僕を支え続けてくださっている家族、友人、仕事関係者、ファンの方々、本当に有り難うございます。
人が動かないなら、まずは僕自身が動く。人が信じないなら、まずは僕自身が信じる。
毎日が闘いです。自分にだけは負けません。もっと前へ進んでやりますよ!
みんな!
『一生青春しよう!』
『一緒に歩こう!』
実は、
僕は今、2023年4月から前向きな入院中です。
超挑戦中だけど、めちゃくちゃ苦しくて苦しくて苦しくて…めちゃくちゃ楽しいんです!
結果はどうなるかはわかりません。
でも必ず何かを持ち帰ってみせます!
だからしばらく、誰の為でもなく自分の為にとことん無我夢中でやらせてください。
2023年9月15日
滝川英治
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僕の芸能活動の原点は、テニミュと言っても過言ではありません。
テニスの王子様という作品ももちろん、ミュージカル『テニスの王子様』(通称テニミュ)。
そこで出会ったキャスト、スタッフ、ファンの皆様に人生においての士気を高められました。
僕は、テニミュを始めた頃は二十歳そこらで、今思えば少しイキっていた気がします。
若くして仕事や経済的にも、ある程度恵まれていたからかもしれないけど、芸能界はみんなライバル、仲良しこよしで作品創りなんてできるかよって思っていました。最初の頃は、超クールであまりキャストのみんなとも多く深くを語らず、自分のことは自分で抱え込み周りとも少し距離がありました。僕にとっては初舞台、ミュージカルというもの自体もほぼ僕の教科書にはなく、「俳優が歌って踊るの?」という気持ちでしたし、さらにアニメ原作の舞台、いわゆる2.5次元というモノ創り自体も「???」でした。日々の稽古の中で、僕はいくら一人で考えても「???」は「???」のまま残り、悩み迷ったまま芝居をしてももちろんいい答えなんてでない。そんなある日、越前リョーマ役の柳浩太郎が、「部長はこれから部長ね!」って、僕の呼び名をつけてくれました。(それから20年間今も部長です。酔うと、ぶっちょ。)何かある度に、「部長!ダンスの振りが違うよ!部長1テンポ遅いよ!」「部長!部長!!」。自然とキャスト全員、さらにスタッフさん、そしてファンの方々からも部長と呼ばれるようになりました。芝居に歌にダンス、皆が僕に突っ込むようになって、僕の中の「???」が一つ二つと消えていったんです。そしていつの日か、僕の中で周りの期待に応え、背負わなければならないという使命感が芽生え始めました。今思うと、柳が部長と呼び始めたのは、僕に「手塚国光たるもの部長らしく引っ張ってくれ」というメッセージだったのかなと思っています。そして、僕はテニミュを通して、遅ればせながら作品を創っていく上で一番大切なモノを教わりました。スタッフ、キャスト全員が一つのチーム。共に支え合い、共に補い合い、共に成長していく絶対的なチームなんだと。それが最高の化学反応を引き出すんだと。
そしてテニミュは、2003年にスタッフ、キャスト共に試行錯誤しながらの、ある意味実験的に産声をあげました。テニスの王子様のアニメ原作を愛するお客様の中にも賛否両論もあったことと思います。
前途多難の中、それでも走り始めた「テニミュ」は、照明や音響を駆使したテニスの表現、ラケットを使ってのダンスや歌など、リアルな汗や涙や乾汁…そして、スピード感のあるラリーの応酬にリアルにテニスボールが見えてきたことにも、ステージでこういう魅せ方ができるんだと感動したことを覚えています。
ただそれでも、2003年4月30日テニミュ初日一発目のお客様の入りは5割超え程度でした。今のテニミュじゃ考えられないと思います。
今みたいにSNSもほとんど無かった時代だったけれど、それが口コミで広がったのか、千秋楽にもなると立ち見が出る程の超満員になったのです。幕が開いた時のあのお客様の熱量と地鳴りのようなどよめきは今でも心に残っています。
その後、追加公演も成功し、テニミュが少しずつ波に乗ってき出した頃の、柳浩太郎の事故。。。
一同は呆然となり、事を理解するのに時間がかかりました。彼とは楽屋も隣りだったし、コミュニケーションはとれていた仲で、彼は家に泊まりに来ては、散らかして去っていく。プライベートでも芝居でも互いに主張ができた先輩後輩の垣根を越えた関係でした。そんな柳の突然のアクシデントは本番の直前の事でした。柳の意識がまだ戻らない中、公演の中止が濃厚視されました。そんな中、皆にある言葉が伝えられました。それは柳のお母様の言葉でした。「できることなら公演を続けて頂きたい。それを彼自身も望んでいるはずです。彼はテニミュを誰よりも楽しみにしていた。彼が目覚めた時に彼のせいで公演中止になったと知ったら彼は一生涯悔いるだろう。」と。その言葉を聞いた僕たちは、折れかけた心に今一度猛火を灯し、本番までの一週間足らずの時で、皮肉なことにステージのクオリティ、さらにはスタッフ、キャストの絆をより強固なものにしていきました。急遽メンバー内でキャストを変更し、皆でカバーし合いながら乗り越えました。
「柳の為に」、「柳は必ず戻ってくる」、「柳が戻ってくるまでテニミュ熱を冷まさないように」と…キャスト、スタッフが一丸となりました。僕達の力で柳にエールを送りたかった。柳自身も頑張っている力で僕達に力をくれました。
全員が一致団結をし、一公演一公演を大事に大事に、想いが届くように演じました。
そして…僕はその公演を最後にテニミュを静かに降板させて頂きました。
その後、柳は不屈の魂で目覚めた後、リハビリに専念しテニミュにカムバックしてきました。僕の中でずっと引っかかっていた手塚国光(部長)としての、柳浩太郎が演じる越前リョーマとの試合。「叶わなかったこの試合をどうしてもやりたい。彼やお客様にも伝えたい思いがある。」と、柳の復帰公演への出演を懇願させて頂きました。
彼は稽古中から、思うように動かない体の中、弱音も一切吐かずに、誰よりも遅くまで居残り練習をしていました。死にものぐるいで周りについてきていた印象。それをkimeruや森山さん初め、周りの仲間たちが必死に支えていました。相変わらずの生意気でクソガキな彼は、元々ストイックでしたが、スーパーストイックになって帰ってきました。そんな彼の執念と信念は、確実に自然と周りを導いていました。彼との試合でのラリーは、一球一球に思いを込め打ちました。
何度倒れても這い上がり、敵に立ち向かってくる越前リョーマの姿勢が、柳浩太郎の生き様と重なって見えました。
負け知らずのお前 この挫折を乗り越えろ
強くなるのだ お前には明日がある
上には上がいる 世界の頂点を知れ
目指せナンバーワン お前には未来がある
敗北バネにして 伸び上がれジャンプアップ
強くなるのだ お前には敵がいる
努力を怠るな 汗と涙にまみれて
目指せナンバーワン お前には仲間がいる
どこまでも行ける果てしない
今はただのスタートライン
走れ 跳べ 打ち込め
青学を勝利に導け
お前は青学の柱になれる男
(歌詞引用)
僕自身は個人的にテニミュでもうやり残したことはないかなと、ケジメをつけ、初代メンバーと一緒に卒業することができました。
卒業公演のゲネプロ(本番前に関係者のみの本番さながらの実演)で凄い印象に残っていることがありまして、本編のラストに演出の上島雪夫さんから一人一人名前を呼ばれ、卒業の挨拶をお客様に向けてアドリブで語る場面がありました。ゲネプロではお客様も入っていなかったので、語った体でスルーしようと思いましたが、客席で観劇していた青学二代目達が目に飛び込んできました。思わず、僕は「城田!あとは頼んだぞ!!」って叫んでいました。すると、彼は客席で一人立ち上がり、「有り難うございます!頑張ります!」って大声で応えてくれたんです。その時の彼の立ち振る舞いを見て、「彼なら大丈夫だ!これからのテニミュも大丈夫だ」と確信しました。僕たちの思いを二代目が繋いでくれて、さらにクオリティーも上げてくれて、その思いが20年も続いていることが奇跡で本当に嬉しく思います。
僕自身は、正直最後の最後まで『ミュージカル』というものに苦戦しました。歌やダンスに感情をのせる難しさ。「愛してる」の一言を非日常的に歌で伝えることの難しさに最後まで答えを出せなかった気がします。ただ、僕の価値観を変えてくれたテニミュ、そしてテニミュでもがき苦しめた経験や仲間達と共に上を目指したチャレンジ精神は財産となり、後の芸能人生の糧となり、目の色を変えてお芝居と人に対して向き合っていくことができました。
卒業公演終演後に初代メンバーとは、「空席が目立っていたあの頃、チラシを街頭で配ったり、友人知人にも片っ端から声をかけていたあの頃の、初心だけは忘れないようにしよう。そしてこれからは、良きライバル、戦友として各々のステージで闘っていくことになると思うけど、みんな負けるなよ!本当に苦楽を共にした最高のチームでした。」と伝えたことを覚えています。
テニミュは20年の歴史があります。
たくさんの各々の想いや汗や涙があります。
ずっとお客様に支えられてきました。
20年経った今、僕は事故により障害を抱えて車いす生活となりました。
僕が怪我をしてからというもの柳浩太郎はちょこちょこ「何してる?元気??」「いつ家に行っていい?」と連絡をくれます。
同じ傷みや悔しさを味わった彼だからこそ、人に対しての感謝の思いが強い彼だからこそなんだろうと感じます。
僕は心一つに共に戦えた仲間がいたから今があります。
その今、僕は一度諦めかけた夢に挑戦中です。僕の長い人生において、ある意味のリスタートライン。
どうなっていくのか今後の事はわかりませんが、テニミュで鍛え込まれたサムライスピリッツで、
どんなに未来がいばらの道の彼方でも地を這ってでも前に進んでいきます。
今 手の届く 幸せじゃなく
今 耐えることで 見えてくる明日
今 酔いしれる 栄光じゃなく
今 歯を食いしばり 手に入れる未来
今 今をつなげて永遠にしよう
〜NOW & FOREVER
(歌詞引用)
改めて、『テニミュ』20周年、おめでとう。
これから先も、
才能溢れる若い方々にとっての『夢の扉への第一歩』として成長を続けてほしい。
テニミュ初代
越前リョーマ役 柳浩太郎
大石秀一郎役 土屋裕一
不二周助役 Kimeru
菊丸英二役 一太郎、永山たかし
乾貞治役 青山草太
河村隆役 阿部よしつぐ、森本亮治
桃城武役 森山栄治
海堂薫役 郷本直也
心から、ありがとう。
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みんな!調子はどう??
僕は障害があって、様々なことを言われます。
ただ、障害があるから様々な声を耳にするのではなく、
障害があると発信しているからこそ様々な声が耳に入ってきてしまうんです。
だから僕は、昔から人生の中で心を掛けています。
勇気を持って何事も発信する以上
受け止める覚悟を持って発信しているし
言葉行動一つ一つに責任を持って発信しています。
結果的に、僕は様々な声によって救われている一人ですが。
今も昔も全ての声に耳を傾けるようにしています。
障害者、健常者には「違い」があって当然で、思考や価値観や生き方、経験や育った環境…人に対する想いまで、
それは様々な多種多様な人間に違いがあるのと「同じ」ように、
何も気になるものじゃないし、気にするまでのものじゃない。
賛否両論は、物事が前に進む為の論理。
自分の生き方を他と比べるわけでもなく、肯定するわけでもなく、ただ我武者羅に信じて進むだけ…
それが幸せになる為の必需だから。
幸せに溢れる世の中になりますように。
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ということで、こちら映像出演致します。
宜しくお願い致します!
「テニミュ」20周年をお祝いするスペシャルな番組!!
ミュージカル『テニスの王子様』20 周年記念特別番組 「テニミュ通信」
配信日:2023年8月11日(金・祝) 第1回配信
【第1回スタジオ出演キャスト】
メインパーソナリティー:今牧輝琉(越前リョーマ役) コメンテーター:土屋直武(伊武深司役)、三井淳平(観月はじめ役)、松永有紘(佐伯虎次郎役)
【「オール手塚座談会」出演キャスト】
城田 優、南 圭介、渡辺大輔、馬場良馬、和田琢磨、多和田任益、財木琢磨、宇野結也、青木 瞭、山田健登
MC:置鮎龍太郎
【配信先はコチラ→】
ミュージカル『テニスの王子様』シリーズ公式チャンネル(@tennimu_official)
https://www.youtube.com/@tennimu_official
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死を覚悟したあの日…
奇跡的に助かった命、たくさんの方々が護ってくれた命
生きていて辛いこと苦しいことが大半を占める
辛いこと苦しい想いを周りの人にもさせてしまってることも辛く苦しい
障害に阻まれることが多い人生だけど、
決して諦めてないし
決して諦めるつもりもない
僕はやっぱり何が何でも生きたいし、生きなければならない
愛してるし、愛されてるから
自分一人だけの人生って思ってないから
自分一人だけの命って思ってないから
だから強くもなれる
だから笑顔にもなれるんだろう
みんな!調子はどう???
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日本の障害者はおよそ1000万人と言われています。
知的、精神、身体障害など、国民の8%が何らかの障害があるということになります。
各々に多種多様な人生の中に苦労、困難、そして快楽があります。
でも、それは障害があってもなくても同じこと。
人それぞれ「違い」があるからこそ、
それを知ろうと、それを知らせようとすることで強く温かい繋がりが生まれるんだと思います。
現在の混沌とした競争社会で勝ち残っていくには、障害の有無は関係ないですし、
障害を理由に「できない」って思われたくないです。
障害のせいで可能性が狭まるのではなくて、障害に甘えてしまうことで可能性が狭まるんだと思います。
周りと対等に戦う為に、何年かかってもいい…まず自分と向き合い、自分との闘いに勝つこと。
人は人。僕は僕。人の価値観なんてそれぞれで、正解なんてないはずです。
自分自身で感じて考えて切り拓いて創造したいんです。
例え、数ミリ程の一歩でも、その勇ましい意志を持った一歩が与える影響はとてつもなく大きくて、
多様な人材が活躍できる環境作りや、イノベーションや新しい価値観の創出と発想することで、
違った視点から僕たちの力が発揮できたり世の中に新しい考え方を吹き込んだりすることができるはずです。
僕たちが戦力として社会にアピールしていくには、
僕たちが『戦力』となることを自ら証明しないといけないと僕は思います。
様々な情報が受動的に伝わることを待つのではなく、
能動的に伝えるという意識が大切で、既に社会の様々な場面でも、社会的障壁により不便さや課題を感じ伝えていくことで、
潜在的なニーズの発見や、解決の糸口を伝えることができると思います。
既存の価値観や思い込みによってマジョリティが気づかない課題を持つ僕たち障害者が、
リードユーザーとして開発や改善のプロセスに加わることで、
多様な人々と一緒に既成概念を打ち破り、新たなインクルーシブデザインを創造していけるようなSDGsへの取り組みが、
今後の共生社会の持続的発展に繋がると感じています。
僕は、受傷後4年間に渡りバラエティ番組のMCをさせて頂きました。
2021年には東京パラリンピック開会式への出演や講演会、
そして、口にペンを咥えて描いた絵本も発売しました。
それは、手が使えなくなった僕にとって、伝える為の表現の一つとして“ただ口が使えたから“で、
もし口が使えなかったら鼻で描いてるだろうし、もし鼻が使えなかったら、顎で描いています。
顎が使えなかったら…またその時に考えます(笑)。
失ったものを嘆くより、残されたものを最大限に活かす可能性を信じて生きたいです。
人生は常にチャレンジしかありません。
まだまだ僕自身見たことのない景色を見ていくつもりです。
例え、今が辛く苦しい時だとしても、諦めなければ必ず笑える日が来ると信じています。
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1週間程前に2日続けてパールが夢に出てきました。
今でも写真は持ち歩いていて、僕を癒してくれます。
絵本『ボッチャの大きなりんごの木』発売中🍎
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