山科薫(やましなかおる)
山科薫のSNS
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奈良時代の創建当時の東大寺・大仏殿は今よりはるかに大きかった!
現在の東大寺・大仏殿は、江戸時代に建築されたもので、奈良時代の創建当時はこれよりはるかに大きかったそうです。 記録によ…
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11票で当選した人もいた明治時代の国政選挙
明治時代の半ば、日本で初の国会が誕生しました。とはいえこの頃の選挙は、国税を15円以上集めている満25歳以上の男子に限…
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平安時代の医学書に出て来る性行為の心得
平安時代、セックスは医学だったのか?何故そんな疑問が生じるかというと、医学書の中にセックスに対する心得が出て来るからで…
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年利60パーセントで1000万円の貸付?
まだ報道されているだけの段階で、どこまでが事実だかわかりません。しかし事実だとしたら、かなりヤバい話です。 元々歌手で…
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幕末の江戸にプロの売春婦が5700人もいた理由
幕末の最盛期には、江戸の人口が100万人を超えていました。今の東京と比べれば全然少ないので実感はないかもしれませんが、…
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「血税」という言葉の最初の意味とは?
1872年、日本で実質徴兵制度ともいえる「徴兵告論」というのが出されました。 その中に、「(国民が)生血を以て国に報す…
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現在の東大寺・大仏殿は、江戸時代に建築されたもので、奈
良時代の創建当時はこれよりはるかに大きかったそうです。
記録によると、30センチ四方、長さ390センチの柱が、
2万7315本も使われていたということです。従って古く
は「南大門の材木で大和郡山の町ができ、大仏殿の材木で奈
良の町が立つ」と言われたそうです。
この創建時の建造費を現代の価格で学者が計算したところ、
約4657億円になるということです。
これだけの材木量を、どこで調達してどのように奈良へ運ん
だか。かなりの労力と犠牲が必要です。
材木自体は北陸や中国地方、そして三重や滋賀といった地方
からも水運を利用して奈良へ運んでいました。
日本には、川がたくさんあります。流通はもっぱら、河川を
利用していました。河川は今の鉄道レベル以上の働きをして
いたのです。
北陸からは琵琶湖を渡って宇治川を通り、中国地方からは瀬
戸内海を通って大阪湾、そして淀川を通り、いずれも木津川
という川に入りました。三重と滋賀、実質は伊賀と甲賀です
が、この2地区からは直接木津川に入ったそうです。
東大寺のみならず奈良の都の建造物には巨大な物が多かった
ようですが、それによる弊害も少なからずありました。木を
伐採し過ぎたために森林が激減し、水害が激増。極端に頻発
しました。さらには、天然痘などの疫病も、増えたのです。
これに懲りて、平安時代の建造物は大きさが控えめになって
いたようです。賢明でしょう。
明治時代の半ば、日本で初の国会が誕生しました。とはいえ
この頃の選挙は、国税を15円以上集めている満25歳以上
の男子に限られていたため、選挙権のある人が45万人程度
で、国民の100人に1人程度だったそうです。
このため立候補者の集票が極端に少なかったということです。
1892(明治25)年を例に取ると、東京2区は当選者の
票が51票だったそうです。
東京でそれなので地方都市に行くと酷いもので、対馬選出の
川本達氏などは11票で当選したということです。
平安時代、セックスは医学だったのか?何故そんな疑問が生
じるかというと、医学書の中にセックスに対する心得が出て
来るからです。
その書は『医心方』というタイトルでして、『源氏物語』が
描かれる少し前に丹波康頼という人物が描いたものです。現
存する最古の医学書と言われています。
内容的にも医学全般に関して書かれているのですが、その中
で性行為についても触れています。
「性の接触は、相互の合意はもちろん、相互の心の高まりが
あって、はじめて行なうべきものである」
そんな当たり前ともいえる記述に始まり、そのためには前戯
をたっぷり行なうべきで、男だけが放出して終わるという勝
手な性交は絶対にいけないと、戒めています。
それらの記述はどれも全く否定されるようなものではなく、
もっともなことばかりです。ただし果たしてそれが「医学」
なのかというと、かなり微妙なところですね。まあより良く
それを行なって互いが満足し合えば気持ちも健全になるので、
まったく医学と別物かというと、そうでもない気はしますが。
他にも『和志』など性の指南書は多々ありましたが、医学書
の中でそれが紹介されているところが興味深いので、ここで
扱わせてもらいました。
まだ報道されているだけの段階で、どこまでが事実だかわか
りません。しかし事実だとしたら、かなりヤバい話です。
元々歌手で俳優で現在参議院議員の中条きよしさんの話です。
日本維新の会所属です。
年金未納騒動などお騒がせは多いのですが、現在知人に対し
て年利60パーセントで1000万円を貸しているという報
道があるようです。違法貸付ですね。
日本維新の会の松井代表は、「もし事実なら辞職勧告を考え
る」とコメントしているようです。
事実なら、犯罪行為ですね。闇金と変わらないです。中条さ
んは、歌手としても役者としても、好きだったんですけどね。
ヤクザ体質なの?真実がどうなのか、知りたいですが。
幕末の最盛期には、江戸の人口が100万人を超えていまし
た。今の東京と比べれば全然少ないので実感はないかもしれ
ませんが、当時としてはかなりの人数だったのです。
そして驚くのは、江戸にプロの売春婦、というか売春を仕事
にして生活している女性が5700人ほどいたということで
す。
幕府公認の吉原の他にも100ヵ所以上の岡場所があり、そ
こでの私娼を合わせると5700人ほどになるということで
す。これも、かなりな人数です。
女性の仕事が他になかったわけでは、ありません。農業だけ
でなく町人の場合にはほぼ全てが共稼ぎでした。独身でもそ
れぞれの地域にも女性だけの労働ネットワークがあり、便利
屋のような形で仕事を積極的にしていて、その気になれば女
性が色気を抜きに仕事をすることはそこそこに出来ました。
それでも売春婦が多かったのは、ギャラが他の仕事よりも良
かったのと同時に、需要が凄く多かったからのようです。
江戸には独身の男性や単身赴任の男性が多く、その人たちは
現金収入がそれなりにあった一方、寂しい日々を送っていた
のです。なので収入の多い人は吉原へ、特別多いわけではな
い人は近くの岡場所へ足を運んでいたそうです。
そうなると、体を売る仕事は女性にとって手っ取り早く稼ぐ
一番の手段となってしまっていたということです。
1872年、日本で実質徴兵制度ともいえる「徴兵告論」と
いうのが出されました。
その中に、「(国民が)生血を以て国に報する」という文言
がありました。これは「兵役」のことを言っているのだそう
です。
以来「兵役」のことを「血税」と呼ぶようになったそうです。
生血を国に捧げる。生血を「命」という意味に捉え、税金代
わりにお国に捧げる。理不尽な話ですが、まあ「血税」とい
う解釈は出来ますね。
1945年、第二次世界大戦が終わって徴兵制度が廃止され、
「税金」を強調した言葉としてこの「血税」という言葉が使
われるようになり、今に至っているそうです。