九州沖縄ドキュメント ムーブの放送内容一覧
「自分がやったことで長崎に原爆が投下されたかもしれない」。宮代暁さん(92)は75年が過ぎた今もその思いが消えない。当時16歳だった宮代さんは1945年8月9日、B29の攻撃を防ぐため北九州市の八幡製鉄所でコールタールを燃やし煙幕を張った。小倉への原爆投下の見送りに煙幕が影響したのどうかは不明だが、原爆は長崎へ落とされた。「暗たんたる気持ち、長崎の人に迷惑をかけた」と宮代さん。戦後、一度も長崎の地を踏むことはなかった。75年を経過した今も重い記憶を背負い生きる宮代さんと家族を通して戦争の罪を問う。
RCC中国放送が製作、広島では2020年3月放送のドキュメンタリー。南米・パラグアイに移住した人々のふるさとへの思いを伝える。パラグアイに「ひろしま」という名のレストランがある。店の近くの「ラパス」という小さな村は、日本人が人口の半分近くを占める。約65年前、日本から移住した住民は、その地の原始林を開拓した。広島県出身者も多くいる。広島弁で会話し、プロ野球の広島東洋カープを応援する。この村は今、開拓した移住1世から、日本を知らない2世、3世が中心となる過渡期を迎えていた。
沖縄県名護市辺野古。太平洋に面し米軍海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」に隣接するこの集落は、宜野湾市の米軍普天間基地の移設先として突如注目を集めることとなった。容認・反対は小さな集落を二分し、各選挙でも争点のひとつとなってきた。移設が取り沙汰されてから25年。海では土砂の投入が進むなか、区民はいま何を思うのか。
「場面緘黙症」に悩む人々の“声なき声”にじっくり耳を傾ける。家ではしゃべれるのに、学校や職場など特定の場面で声が出なくなる不安障害の一つが「場面緘黙症」。現在、全国の小学生の500人に1人がこの障害に悩んでいるとされるが、見過ごされることも多い。場面緘黙症の19歳女性の姿のほか、高校生の時に克服した女性がこれまでの苦しみを振り返る言葉、12歳の小学生が場面緘黙症と闘いながらパティシエとして活動する様子も伝える。
1945年3月27日。東洋一とうたわれた旧陸軍大刀洗飛行場と関連施設が標的となった空襲で、森に逃げ込んでいた立石国民学校の子供たち、31人の命が奪われた。腹部に傷を負いながらも生き残った廣瀬益子さんは、70年経ってから初めてあの日の出来事を口にした。戦後75年を迎え、戦争の記憶が社会から薄れつつある中、当時のことを語り始めた体験者たちは今、何を思うのか。