【テレビの開拓者たち / 王東順】フジの元名物プロデューサーが明かす高視聴率番組誕生秘話

2017/04/26 06:00 配信

芸能一般

海外情報クイズの先駆けとして一世を風靡した「なるほど!ザ・ワールド」('81~'96年)をはじめ、「クイズ・ドレミファドン!」('76~'88年)、「クイズ!年の差なんて」('88~'94年)など、フジテレビの人気バラエティーを数多く生み出してきた王東順氏。常に時代の先を行くものを追い求めてきた名プロデューサーは果たして、どんなことを考えながら番組を作ってきたのか。各番組の知られざる制作秘話を織り交ぜながら、アイデアを生み出す秘訣を語ってもらった。

考え続けることで、ひらめきが降りてくることもあるんです

おう・とうじゅん=’46年生まれ、東京都出身

おう・とうじゅん=’46年生まれ、東京都出身

――プロデューサーとして一本立ちされたのは「クイズ・ドレミファドン!」だそうですね。この番組を手掛けることになったきっかけは?

「私が29歳のときですね。フジテレビで日曜の昼12時枠が空くことになって、会社から音楽とクイズを扱う番組を作ってくれと言われたんです。音楽は華やかでかっこいいし、僕も目指していたジャンルだったんですが、クイズというのは、当時は業界内でのランクは低くてね。どうしようかなと思いました。そもそもフジテレビにとっては、視聴率が2%ぐらいしかない厳しい時間帯でしたから。裏番組の『大正テレビ寄席』('63~'78年テレビ朝日系)は、今でいう『笑点』(日本テレビ系)のような存在。ドカンと据わった老舗の番組だったので、それまでなかなかその牙城は崩せなかったんです。そこで…これはあまりよくない考え方ですけど…仮に引き受けて失敗しても、まぁそんなにダメージはないだろうと。ちょっとズルい計算をしました(笑)。

そしたら案の定、やり始めたら全然うまくいかない。一生懸命作っているのに視聴率も上がってこない。われわれ作り手と視聴者のバイオリズムが合ってなかったんでしょうね。結局、半年間ぐらい苦しみました」

――そうした苦しい状況の中で工夫したことは?

「番組開始当初、“イントロクイズ”はオープニングに使っていたんです。それを一番後ろに持ってきて、決勝戦のクイズにしようと。あとは、音の出し方と解答者が答えるタイミングの呼吸。これが本当に難しかった。なぜしっくり来ないのか分からなかったんですよ。それでも、ずっと考え続けた結果、毎年京都で行われている小倉百人一首の大会のイメージがぱっと浮かんできて。イントロクイズには、あの独特の間や空気感が合うんじゃないかと思い付いたんです。そうして、ようやくイントロクイズならではのテンポが出来上がって、その3カ月後ぐらいですかね、視聴率が20%を超えたんです。日曜のお昼という放送枠ではありえない数字ですから、かなり話題になりました。その後イントロクイズはクイズの定番になりました。

実はこのイントロクイズのアイデアには裏話があって。高校時代、私は決して成績は悪くなかったんですけど、担任の先生が教える国語の小倉百人一首が苦手だったんですよね。これが必ず試験に出てくるからトラウマになって、いつの間にか刷り込まれていたのかもしれない(笑)。私の場合はそんな風に、ひたすら考え続けることを一番大事にしています。ふとした瞬間に昔の記憶とつながってアイデアが浮かぶこともあるし、考え続けることで、ひらめきが降りてくることもあるんです」

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