和田庵、『茜色に焼かれる』で新人賞を立て続けに受賞!「本当に名誉なことだと思っています」
親子の関係に「感銘を受けました」
――作品を通してご自身が成長した部分や、いい経験になったと感じたことは?
尾野さんや石井監督から作品を通して刺激を受けたことがたくさんあったんですけど、それ以上に「茜色に焼かれる」を通して描かれる「家族とはどういうものか?」という部分に触れたことはいい経験になりました。
純平は普段思っていることを口に出さない青年で、ほとんど本音を言わないんですけど、心の底から母のことを愛しているのは演じていて伝わりましたし、家族の愛の形という部分で影響を受けたことは多かったです。純平と良子にとってはとても理不尽な世界だったと思うんですけど、それを2人で乗り越えようとする姿には感銘を受けました。
――和田さんは10代のうちに日本を出て留学されましたが、なぜ留学しようと思われたのですか?
留学した理由としては、何より語学力向上のためです。英語が苦手だったので、もっとしゃべれるようになりたいなと思ってカナダに行きました。僕が留学したとき兄もカナダにいて、兄はずっとスケートボードをやっていたんです。僕も学校に通う以外は時間を持て余していたので、何かやることはないかなと思っていたら、兄がスケートボードをくれて、それがきっかけで僕もスケートボードを始めました。
現地の人とコミュニケーションを取る上で英語力は何より大事なんですけど、最初はボディーランゲージでみんなと会話していて、スケートボードを通じてコミュニケーションを取ることができました。
スケートボードを一緒に練習したり、どこかへ行ったり、一つのスポーツでコミュニケーションが取れて、心が通じ合えた、国境を越えた所に友達ができた、というのは僕の中ではとても貴重な経験になりましたし、コロナ禍でなければまたすぐにでも行きたいです。
――最初はボディーランゲージだったそうですが、どうやって言葉を覚えましたか?
早く英語がしゃべりたいと思っていたので、単語や文法を学び直しました。現地の中学校に通っていたんですけど、やっぱり中学校の授業より放課後に現地の友達とスケートボードをしたり、そこで会話したりする時間の方が学校より断然長かったので、ほとんどそこで英語が身に付いたかもしれません。
学校で学ぶのはキレイな英語ですけど、現地の子はもうちょっと言葉遣いが違ってラフな感じだったので、よりネイティブな現地の言葉を学べたのは良かったです。
――スケートボードの魅力は?
技の種類も数えきれないくらいあって、これができたら次はこれをやろうというふうに、上達しても終わりがないスポーツなんです。一つできたらもっとうまくなりたい!とどんどん引き込まれるので、そういう意味でも僕の性格に合っていますね。
一人でやってももちろん楽しいんですけど、友達とスケートボードをして動画を撮り合ったり、編集したり、疲れた日は帰りに電車に乗って、その日に撮ったスケートボードの動画を見返している時も楽しいです。
何より、やりたかった技ができた時の達成感がとても心地いい。人によってスタイルがあるので正解もないんですよ。そういう面ではお芝居にちょっとだけ似ている部分もあるのかもしれません。
――俳優として今後もっとここを鍛えたい、という部分は?
「茜色に焼かれる」ではちょっとアクションシーンもあって、飛び蹴りをしたんです。そのシーンを振り返って、他のアクション作品やアクション系のお仕事にも興味が湧いてきたので、そういった作品に携われたらいいなって思います。
◆聞き手:月山武桜