ラウンドちゅうごく〜為になるテレビ〜の放送内容一覧
原爆投下直後、広島に降った放射性物質を含む“黒い雨”。雨の影響で健康被害を受けながら、国の“援護区域”の外に住んでいるため、補償を受けられずにいる人々もおり、大きな問題となってきた。そうした人たちがおこした裁判が先月、結審した。深刻な病状を抱えながら、なぜ被爆者手帳の交付は退けられてきたのか。高齢化も進む中で、解決の糸口はあるのか。戦後75年を経て、いまなお残る「黒い雨」をめぐる課題に迫る。
去年、厚生労働省は「再編統合の議論が必要」という公立・公的病院の名前を公表した。中国地方では全体の3割を超える47病院が対象となり、「地域から病院がなくなるのでは」と不安の声があがっている。医師不足や高齢化の進む“地域医療の現場”で、何が起きているのか? 「地元で最期を迎えたい」という患者の望みはどうなるのか? 番組では“病院再編”の現実を取材。地域の住民が安心していくために、何が必要なのか考えていく。
人手不足が深刻になる中、外国人の受け入れが進んでいる。中国地方でも外国人技能実習生は増え続け、去年3万人を突破した。しかし、賃金未払いや長時間労働などの問題は後をたたず、受け入れのあり方が問われている。番組では、外国人の働く現場で何が起きているのかをルポ。ネットの世界に、外国人労働者のコミニティができ、働き方に変化が訪れている様にも迫る。外国人の雇用や、共生をどう進めていくべきか考えていく。
開幕まで250日に迫った東京オリンピック。番組では中国地方を活動拠点にする選手にスポットをあてる。岡山の期待を背負うマラソン代表の前田穂南選手。板飛び込み代表に内定した三上紗也可選手は、あえて地元米子市を活動の場に選んだ。カヌー代表の足立和也選手は練習場を求めて萩市へ移住。また代表入りをめざすホッケー・錦織えみ選手やアーチェリー・菊地栄樹選手など、地域の期待を背負いながら東京に挑む思いに迫る。
国交正常化以降「最悪」ともいわれる日韓関係。中国地方では韓国からの観光客が激減し、長年続けてきた交流事業も中止が相次いでいる。その一方で、日本の若者の間ではK-POPや韓国コスメなど、韓国カルチャーが根強い人気だ。最新調査では、韓国に好印象を持つ人は、高齢世代より若い世代のほうが多い。世代間の意識の違いはどこからくるのか?両国の若者たちの姿を通して、今後の日韓関係を考える。
災害時に自力で避難できない人たち(要支援者)の命をどう守るかが課題となっている。西日本豪雨では、広島・岡山・愛媛の死者197人のうち、およそ半数を70歳以上が占めた。国は「要支援者」の名簿を作成することを各自治体に義務づけたが、その名簿がプライバシーなどを理由に十分活用できていない実情が見えてきた。どうすれば要支援者を救えるのか?課題とともに、中国地方で進む「先進的な避難の取り組み」も紹介する。
若い世代の間でドライブインは静かなブーム。人気の秘密は「昭和感」「家族経営」「その店ならではの名物」。番組では中国地方の個性豊かなドライブインを紹介。「大盛型」「自販機型」「ゲーム機型」など、タイプ別ドライブインの楽しみ方を伝える。秋の行楽シーズンを前に、若い世代も、50代以上の「ドライブイン世代」も楽しめる街道紀行。
家族や友達とワイワイ食べる味。昔を思い出す味。誕生日のご馳走…。普段食べているものをひもとくと、その人の暮らしや人生が見えてくる。この番組は、広島のとある団地にある小さな2つの食堂の物語。団地ができたのは約40年前。高齢化が進む中、いろんな背景を持った人たちが、ひっそりと支えあう団地での暮らし。見れば思わずほっこりする、食にまつわるドキュメンタリー。
これまでの魚より旨味成分が多く、病気を抑えるための薬剤が少ない。そして大量生産が可能になればかなり安く。そんな魚を生み出すと期待されているのが、陸の上で魚を育てる陸上養殖。自然の影響を極力排除した人工的な環境の中で魚を養殖するプロジェクトが、今中国地方各地で動き出している。後継者不足・資源の枯渇など様々な問題を抱える日本の漁業は陸上養殖で復活する?私たちの食卓はどう変わる?最新リポートをお届けする。
島根県では、教育の魅力を高めることで若い世代を呼び込み、人口減少に歯止めをかける取り組みが進んできた。そのモデルが意外な国に“輸出”される。「幸せの国」として知られるブータン。経済発展で若者が職を求め都市へ流出、地方の過疎化が社会問題となっている。日本の地方発の改革は新興国の問題解決に寄与できるのか。この夏、改革の先進地・隠岐諸島の教育関係者がブータンに渡りノウハウを伝えるプロジェクトに密着した。
原爆で家族を失い一人になった「原爆孤児」。そのなかに、朝鮮半島出身の男性に助けられ、韓国に渡った人がいた。友田典弘さん83歳だ。その人生は戦争に翻弄され続けたものだった。原爆から生き残ったものの、朝鮮戦争に巻き込れた友田さん。飢えに苦しみながらも、多くの人に支えられ、二つの戦争を生き抜いた。友田さんは今年かつて過ごした韓国を訪れる。いま何を語るのか。番組は数奇な人生を、ドキュメンタリーとドラマで辿っていく。
昭和20年8月6日。原爆が投下された日に、広島で何が起きていたのか。それを記録した写真や動画はほとんど残っていない。広島市立基町高校では、被爆者の証言をもとに、あの日の光景を高校生が克明に油絵で描いている。12年前に始まった「原爆の絵」の取り組み。これまでに約140枚が制作された。番組では3人の被爆者の体験を、絵とともに振り返る。あの日の惨状。今なお残る後悔。原爆が被爆者に負わせた重い傷を伝える。
かつて“原爆市長”と言われ、「平和都市・広島」の礎を築いた男がいる。浜井信三元市長だ。原爆で焼け野原となった広島を、浜井はどのようによみがえらせ、未来にどんな思いを寄せていたのか。番組では、浜井の運転手を務め、生きざまを間近で見てきた男性を取材。浜井の意志を継ぎ、今の広島につながる過程を映像と写真で切り取ってきた男性の目線から、復興に命を捧げた原爆市長の素顔を描き出す。
中国地方の離島や中山間地域にある高校が、都会の中学生や親たちから注目されている。なぜ地方への「留学」が都会の親子の関心をひきつけているのか? 地域や教育の未来を変えるとの期待もかけられている現象を追い、そこに秘められた可能性を探る。