“大御所”とは思ってない…ネタをやり続ける矜持「ずっと若手と同じ舞台の上で戦いたい」
――現在いわゆる“大御所”と言われる年齢、芸歴になられているわけですが、バラエティ番組で暴れまわったり、ネタ番組でネタをやり続ける理由は何ですか。
自分たちでは“大御所”とは思ってないし、俺はとにかくウケたいだけなんだよね。だからよく「老害」だと言われるんだけど。それでも、いまだに若手より前に出たいし、若手が何かを言う前に、先に言いたいんですよ(笑)。そういった衝動を抑えられなくて。
それともう一つは、プレイヤーとして、ずっと若手と同じ舞台の上で戦いたいという気持ちもあります。若手より一個上のステージに行きたいとは全然思わない。ネタ番組だったら、同じ条件で同じようにネタをやって、どっちが面白かったかということをやり続けたいんですよ。
――たしかに年末恒例の『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日系)の「ネタ祭り」などでも、後輩芸人がネタを披露した後、爆笑さんが大トリで漫才をしますよね。
ネタをやらないで終わるのは、俺は絶対無理。やっぱり、みんながウケてるのを見たら「俺のほうがウケたい」って思っちゃうから(笑)。
太田光が考える“大衆性”「大衆にウケるものが1番偉い」立川談志からの影響も
――過去の著書やインタビューなどを読むと、太田さんは“大衆性”を大切しているように思うのですが、改めて大衆性の象徴ともいえるテレビへ出続けることの魅力はどんなところにあると感じますか。
シンプルに大衆芸能が好きなんですよ。(立川)談志師匠も、最後まで客の前で落語をやり続けていましたし。僕はたまたまラッキーなことに談志師匠の晩年を近くで見ていましたけど、あの人はずっと古典と格闘していたんです。古典を“芸術”という高尚なものにしないで、「お客さんに古典を好きになってもらおう」と生涯をかけて戦っていました。「落語は大衆のものだからもっと見てくれ」「これなら現代に合うだろう」と奮闘する姿は本当に凄まじかったです。
そんな談志師匠と同じように、僕も大人から子どもまで誰が見ても楽しめるものが好きだし、「その時に大衆にウケるものが1番偉い」と考えています。だから純文学とか芸術、古典芸能といった方にはいかずに、僕にとっての“みんなが楽しめるもの”の象徴であるテレビに思い入れがあるんだと思います。