イッセー尾形、小日向文世、大泉洋で“3人芝居の傑作”に挑む!「神様的な存在と…怖いなー(笑)」
マルク役:イッセー尾形コメント
翻訳劇は初めてです。今まで1人(独り芝居)でやるのが、ずーっと忙しかったから(笑)。本当に1人でやるのが楽しくて、ずっとやっていました。でも、60歳になってフリーになりまして。
ちょっとずつ井戸から外に出てきて。ミュージカルもやったことがあるんですよ、すごいでしょう! 歌ったんですよ、いっぱい人がいる中で(笑)。オペラもやりました。だから、翻訳劇も大丈夫かなと。
共演が小日向さんと大泉さんですから。芸達者なお2人と一緒ですから、何とかなるんじゃないかなーと思って(笑)。でも、何人かでやる場合は、1番大事なのは力の配分。ここは力を入れる、ここは抜くという。そこが難しいですね。
この戯曲の魅力は、読んだときの印象がその時々で変わるんですよね。最初読んだときは、支配、非支配の関係で読んだんです。友情って言いながら、結局相手の領土をどんどん侵していく、侵されまいとするという攻防戦に見えたんですけど、また時間がたって読むと、結局それは表面的なことであって。
もう1回読むと、それでしかこの友情を確かめ合えない。けど、結局は仲良いことの1つの表れなんじゃないかなとも読めるんですね。だから、不幸な関係といえば不幸な関係なんですけど。
その不幸な関係を支えているのは、幸せな関係なんだと。まあ、いいかー!みたいな感じですね。
僕が演じるマルクって、あまり共感はしないんですけど(笑)。1回否定的な言葉を投げ掛けておいて、それを非難されると、すぐ撤回すればいいものを撤回しないで、否定を守ろうとするんですね。
その諦めの悪さというか、その辺は結構分かりますね。ケチつけたことにケチつけられると、またケチつけ返すというふうで、そういう性(サガ)みたいなもの、それはわかりますね(笑)。
でも、守るものがあるから守るのかというとまた違っていて、守るから守るべきものが生まれてくるということも考えられる。この目の前のやりとりでね。
奥底に何もないんだけれども、背後にはいかにも何かありそうに見せなきゃいけなくなってくると。
そんなのが3人もいますから、3の二乗ぐらいの世界を繰り広げられるんじゃないかな。