平清盛のあらすじ
最終回 平氏一門は、熱病に苦しむ清盛(松山ケンイチ)を囲み悲痛の面持ちに。昏睡状態の清盛は、生き霊となって西行(藤木直人)の元に現れ、自分の死期が迫っていることを知る。その後病床から突然覚醒した清盛は、自分の墓前に頼朝の首を供えるよう命じ、絶命。時子(深田恭子)らは西行から清盛の遺言を聞く。
1181(治承5)年1月。平氏はすっかり孤立し、各地で謀反が続発。清盛(松山ケンイチ)は高倉上皇(千葉雄大)の名の下に一蹴しようとするも、病に侵されていた上皇が程なく崩御。後白河法皇(松田翔太)が”治天の君”に返り咲き、清盛の前に現れる。焦る清盛は、上皇の妻であった娘の徳子(二階堂ふみ)を法皇の後宮に入れようと企て、時子(深田恭子)を使いに出す。だが、徳子は拒絶。徳子の悲しみに共感する時子は無理強いできず、清盛は法皇をけん制するための次の策を考えることに。一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)の元には、降伏した平氏の家人が次々とやって来る。頼朝は主従関係を結んだ家人を「御家人」と呼んで新たな政治の仕組みを築き、町の整備を進める。西行(藤木直人)から鎌倉の話を聞いた清盛は、急きょ法皇を訪ね、すごろくの勝負を持ち掛ける。
1180(治承4)年10月。頼朝(岡田将生)は、手柄を立てた者に新しい土地を与えるといった新制度で勢力を拡大していく。各地の源氏が次々に蜂起し、寺社にも謀反の兆しが見え始める。藤原兼実(相島一之)ら公卿は、謀反を食い止めるため、寺社の要求通りに還都するべきと主張する。程なく平氏の棟梁を務める宗盛(石黒英雄)が、一門を集めて清盛(松山ケンイチ)の元に出向き、還都を願い出る。清盛は突っぱねるも、平氏を守りたいという宗盛の切実な訴えに折れざるを得なくなってしまう。やがて11月、清盛が待ち望んでいた内裏が落成。清盛は、安徳天皇を内裏に招いて「五節会」を行い、”武士の世”を目指して駆け抜けてきた人生を振り返る。そして10年余り過ごした福原を後にし、六波羅に戻ることになる。
1180(治承4)年8月、頼朝(岡田将生)が伊豆で挙兵する。激怒した清盛(松山ケンイチ)は直ちに追討令を出し、まだ若い孫の維盛(井之脇海)を総大将に任命。貞能(田口浩正)らは反対するが、清盛はこれを聞き入れず、維盛に頼朝を捕縛して福原に引き連れてくるよう命じる。頼朝は敗れるも九死に一生を得て、各地の源氏はますます血気盛んに。頼朝の元には、かつて義朝(玉木宏)がまとめ上げた東国の武士たちが続々と集結。頼朝は鎌倉を本拠地に、義朝の悲願だった武士の世をつくることを誓う。一方清盛は、源氏の対処を一門に任せて福原遷都を推し進め、一刻も早く高倉上皇(千葉雄大)を福原に招こうと、内裏の落成祈願のため嚴島神社へ。清盛もまた、福原遷都により武士の世を完成させ、義朝に見せつけようとしていた。
1180(治承4)年4月。以仁王(柿澤勇人)が源頼政(宇梶剛士)と手を組み、諸国の源氏に平氏追討の令旨を下した。頼朝(岡田将生)は平氏にかなうわけがないとためらうも、妻・政子(杏)や平氏への不満を募らせていた北条時政(遠藤憲一)らの後押しで挙兵の覚悟を決める。そのころ清盛(松山ケンイチ)は、福原への遷都を計画。宋との交易に都合が良い福原に都を移すことで、かつて義朝(玉木宏)と約束した武士の世を実現しようとしていた。清盛が上洛した際にその計画を打ち明けられた頼政は、皮肉な笑みを浮かべつつ蜂起の機会をうかがう。ところが時忠(森田剛)の調べにより、程なく以仁王の挙兵計画が発覚。頼政も加担していると知った清盛は激怒し、令旨の真偽を確かめるとともに、一門に以仁王の捕縛と頼政の討伐を命じる。